熱帯地方などでは蚊が多く、マラリアの危険もあるという。ユーラシア北東部でも夏に蚊が大発生する。幸いマラリアなど蚊が媒介する病気の話は聞かない。でも刺されれば煩わしいし、子供たちには結構な負担だろう。蚊対策が必要なのはサハリンのニヴフ人にとっても同様である。寒冷地なので住宅の気密性が高く、屋内で蚊の大群に出くわすことはない。だが、漁期の浜小屋ではそうはいかない。海岸部は湿地が多く、蚊の住処である。ニヴフ人は漁師だから、湿地も大切にしている。自然を改造して蚊をなくそうなどとは考えない。そんなときに活躍するのが「蚊帳」である。ニヴフ語では「ジャンパン」という。中国語からの借用語である。モノと一緒に入ってきたのだろう。

ニヴフ人は漁師だが、猟師でもある。山では野生トナカイ、海ではアザラシを撃つ。罠もあるが、銃のほうが簡単だ。将来なんらかの天変地異で近代文明が崩壊して弾薬が入手できなくなれば罠を使うことになるだろうが。銃は今ではロシア製だが、かつては中国製だったらしい。ニヴフ語で「メオチャン」と呼ぶが、これは中国語からの借用語である。南サハリンのアイヌ語では「テッポー」と呼ぶから、こちらは日本製だったのだろう。

数詞

サハリンのアイヌ語は数詞体系をトゥングース諸語(おそらく満洲語)から借用している。ちょうど日本に固有の「ひとつ、ふたつ…」と中国語から借用した「いち、に…」という二つの数詞体系があるのとよく似ている。アイヌ語は二桁目つまり十の位以上が二通りの呼び方を持つ。wan「十の」、hohne「二十の」、asiknehot「百」が固有表現、sine kunkutu「十」、tu kunkutu「二十」、sine tanku「百」が借用表現である。

満洲語はかなり整然とした十進法の数詞体系を持つ。トゥングース諸言語を母語とする大陸側の商人はこの十進法を用いていたはずだ。二十進法のアイヌ語とは変換が面倒だったろうが、アイヌ語側が、より単純な十進法体系を併用することで解決された、ということか。不思議なのはアイヌ語の「十」を表す二つの単語がともにトゥングース系ではないことである。wan「十」は二十進法の固有数詞体系で用いられ、北海道と同じ語形である。kunkutu「十」は借用した十進法の数詞体系で用いられるが、来歴が不明である。こちらは北海道のアイヌ語では普通用いられない語だが、どうやら道東に記録があるらしい。興味深いことにカムチャトカ半島までいくと、イテリメン語の消滅した南部方言に同じ語が見られる。ひょっとするとwanとは別系統の「十」がオホーツク海岸沿いに用いられていたのかもしれない。

ちなみに、ニヴフ語はニヴフ語で固有の数詞体系を持つが、百以上はやはりトゥングース系である。ただ、「シネタンク」(アイヌ語)と「ニシャンク」(ニヴフ語)がともに「百」を表すとしても、お互いに話して通じるとは思えない。「シネ」や「ニ」はそれぞれの固有語である。日本語の漢語数詞体系のように、完全に借用語だけで表現できるわけではない。

アワビ

戦前の日本側資料に「アワビ」の登場するニヴフ語の昔話がある。「キツネとアワビ」が競走する、というものである。キツネが浜でアワビを見つけて食べようとする。アワビはキツネに対し競走して負けたらいさぎよく餌食になろう、と申し出る。競走が始まるとアワビはキツネの尻尾にしがみついてズルをする。ゴール地点で飛び降りてキツネを出し抜くのである。この話はいくつかの点で奇妙である。ニヴフ人が住んでいたポロナイスク(敷香)は北緯50度線のあたりで、すでにかなり寒い。果たして「アワビ」がいるのだろうか。疑問に思って調べてみると、確かに生息するが非常に小さいものらしい。北海道で獲れるような大きなものではない。しかもテキスト原文中の「ケシュ」というニヴフ語は「ヒザラガイ」を意味する語である(アイヌ語にも「ケロ」として借用されている)。サハリンの日本語でヒザラガイをアワビと呼んでいたのだろうか。なお、北サハリンの類話では「アワビ」の代わりに「ヤドカリ」が登場する。キツネの尻尾にしがみつくならヒザラガイよりもヤドカリのほうがふさわしい。

フレップ

「フレップ」という単語がある。コケモモやガンコウラン、ブルーベリーなど平原の漿果の総称である。北海道では用いられない、サハリン独特の単語である。サハリンのアイヌ語、ニヴフ語、ウイルタ語などの会話中では別の単語があるらしいので、日本語と考えるべきなのであろう。知里真志保によれば、アイヌ語北海道方言でhurepはイチゴを指すという。いわゆる「対雁アイヌ」など北海道からの移住者が持ち込んだものだろうか。アイヌ語内に限って言えば、hurepに対応するサハリン方言はhureh「フレッ」あるいはhurepe「フレペ」となり、語末の子音pが消失するか、peという異形態が現れるはずである。したがって、アイヌ語サハリン方言を経由して入ったものではなかろう。とすると、日本語がアイヌ語北海道方言から直接借用したが、それが起きたのはサハリンだということになる。

厚司

「厚司」という日本語がある。アイヌ語のattus「アットゥシ」からの借用語である。この単語の語源は*at-rus「オヒョウニレ・の毛皮」だと考えられている。アイヌ語サハリン方言ではahrus「アッルシ/アハルシ」というので、この語源解は正しいであろう。この*atrus>attusという子音の順行同化はサハリンでは起きなかった。サハリン方言ではatrus>ahrusという音節末子音tのh化が起きる。とすると、日本語の「厚司(アツシ)」が文献に現れたときにはすでにこの方言分化が始まっていたことになる。ちなみに音節末子音のh化は旭川方言でもみられるが、語形が*ahrusではなくahtusらしい。サハリン方言と北海道方言の分岐後の変化である。

サハリン西海岸ではニヴフ語もitcイッチ>iscイシチ「言う」のような一種の子音の異化が起きる。調音点の同じ子音が並んだときに前の子音がs化する現象が部分的に存在する。前述したアイヌ語における子音のh化は西海岸に顕著である。これらは通常は全く別の現象と考えられる。異なる原理に支えられているからである。しかし「音節末子音が出力において、基底形のまま保存されない」というレベルでは同じである。サハリン北東部のニヴフ語サハリン方言、北海道南西部のアイヌ語は、逆に音節末子音を基底形のまま保存する傾向が強い。

日本との関係で、北海道南西部は人口が集中し文化の変化も激しかったと考えられている。古典的な言語地理学ではこのような場所で言語変化が進むとされる。例えば人称接辞の縮約現象などはこの地域独自のもので、道東や道北、サハリンでは起きなかった。まさに言語周圏論的に説明が可能である。

サハリン西海岸のニヴフ語はアムール方言である。大陸においてトゥングース諸語の影響を強く受けたと考えられている。さらにサハリンに拡大したのちも、大陸との関係は強かったようである。一方、サハリンのアイヌ語もニヴフ語との接触により大きな変化が起きたと考えるべきだろう。サハリン西海岸は19世紀まで両言語の接触地帯だった。言語変化の激しい地域であり、そこで起きた変化のなかには徐々に周囲に拡大したものもあったはずである。

北海道とサハリンをひっくるめて考えるなら、サハリンは方言によって東西海岸に分かれ、北海道は「西蝦夷」と「東蝦夷」に分かれる。あえていえばサハリン西海岸と「西蝦夷」がむしろ言語変化の中心に近く、サハリン東海岸と「東蝦夷」はむしろ保守的だったのではないか。そして旭川のアイヌ語にも見られる音節末子音のh化が、この言語変化のなかに位置付けられれば面白いのだが。

大地

ニヴフ人は「大地を傷つけるのは悪である」という。「悪」というのはクマに関する、あるいは火に対する行動などでも用いられる言葉である。いわゆるタブー(禁忌)を意味するときに用いられる表現である。現在ではニヴフ人も、ロシア文化の影響を受けて畑作をしている。土木工事もする。この社会で生きるためには当然である。しかし、道徳的には耕作も土木工事も悪である。なるべく控えめにやらなくてはならない。大規模農業や、石油資源調査、油田事業などにはみな反感を持っている。一種の必要悪とみなされている、というべきか。極端にいえば「戦争」のようなものである。出来ればないほうがよい。しかし、現実にはなくならない。だからといって肯定できるようなものではない。

(2004年9月8日)

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