ジェンダーフリー
さる教育委員会は、「男女混合名簿」の作成は動機によっては禁止する、と決定した。動機が「男女平等」ならばよいが「ジェンダーフリー」ならば作成を禁ずる、という。行為ではなく動機を取り締まるのだから、まさに思想を問題にしているわけだ。その教育委員会は例の「作る会教科書」を採用するという。新設する中高一貫の「民族主義エリート養成校」で使う予定らしい。
子供たちは敏感だから、教育という理念において、「事実」ではなく「思想」が重要視されているのだとすぐに気づくだろう。かつてマルクス主義を武器に教師を論破しようとしたように、今度は民族主義を武器にするだろう。あと10年もすれば高校で民族主義教育を受けた若者が大学に進学する。無知な彼らはイデオロギーで事実を封殺しようとするだろう。彼らには高校と大学の違いを思い知らせてやらねばならない。研究者に信条を曲げさせるのは意外と難しいのだ。
どの民族にも「中華思想」はある。北方少数民族もみなそうだ。アイヌ人もニヴフ人も自民族中心主義を持っている。なかには当然首を傾げたくなるようなものもある。しかし、問題は「誰が」というところにある。「他の民族も利己的だから、自分たちも利己的でいいのだ」という考え方はまるで子供の論理だ。持っている力がまるで違う。マジョリティは自分たちの行いに対して慎重でなくてはならない。多数決でどんな無理も通してしまうことができる。その多数決を原理とする民主主義社会においては、マジョリティには固有の権利が制限されるべきである。
夫婦別姓
夫婦別姓に関する論議は、「イエ制度」の評価を巡って真っ二つに分かれている。社会維持のための最小単位としての「イエ」を守るためには「同姓」を放棄できない、というのが「別姓反対」の大方の意見であろう。だが、現在のイエ制度を不変のものとする考えには全く根拠がない。
アイヌ人もニヴフ人も日露の家族制度をおしつけられた。しかしそれでは不便なので、結局はゆるやかにもとの氏族制度や双系制度が残されていた。それは日露の制度と重なる部分もあるが当然ながらズレもある。そのため外部からは、隠された秘密のコネクションがあるかのように映る。名前を奪っておいて、今度は名前がないことを非難するのである。
どの個人も、自分たちの必要に応じて家族制度をデザインしていくしかない。現に別姓は表向きの同姓制度と遊離して始まっている。だからこそ公的に認めるよう要望があるのだ。「どうあるべきか」などは空論である。法律が個人に無用の不便をおしつけている、という愚かな現実があるだけだ。
集住化
日露双方で北方少数民族の集住化が行われてきた。少人数の集落をまるごと引越しさせていくつか集め、大きな集落を新設するのである。一度にやるのは難しいので、何度も行われた。そのため、ほぼ一世代ごとに新たな集落に移住することになった。大集落になれば、機械の整備所、交易所、映画館、集会所などが維持できるし、電気や水道もひける。
結果としてどうなったか。比較的大きな集落は最終的にロシア人の都市に統合されてしまった。ニヴフ人の共同体はロシア人社会のなかに解体吸収されつつある。ニヴフ「民族」を主体としてみれば、集住化は失敗だった。「民族」の維持すら出来なかったからである。
近代文明のもとでは僻地には居住すら出来ない。これは近代文明の明らかな欠点である。ニヴフ伝統文化は少人数でも遠隔地に居住が出来る優れた社会システムを持つ。その利点を捨てずに、必要なだけ近代文明を取り入れていくべきだっただろう。だがソビエト政権は軍事力と共産主義イデオロギーでニヴフ文化を破壊してしまった。愚かな行為である。そのソビエト政権は崩壊した。ロシアはソビエト時代の方針をいろいろと継承してはいる。だが、以前ほど強権的ではなくなった。現代、少数のニヴフ人がかつての小集落に移り住んでいる。都市で乞食をしているロシア人に比べれば、現金収入がなくとも猟師のほうがずっと幸せであろう。
文化相対主義
研究者は基本的に「どの文化にも優劣はない」と前提している。というより優劣を計測する手段を持たないのである。19世紀から20世紀前半にかけては社会進化論、マルクス主義などで優劣が考察されたが、どれも事実誤認や偏見に満ちたものであった。それらの方法論が無効だ、と認めたにすぎない。ひとはある社会の一部しか見ることが出来ない。社会内部の事象は相互に連関して複雑なシステムを成している。部分しか見ずに全体を論じても意味がない。しかも「部分」に対する評価自体、自分の文化の規範に基づいて行うのだから、まったくあてにならないのだ。だから、研究者は文化の「研究」をするが「評価」はしない。
しかし、これは社会変革に対して消極的であることを意味しない。結果がどうあれ、自分の属する文化については積極的に関わるであろう。研究者は、異文化の研究を通じてその重要性を知っている。どの文化も成員の積極的な活動によって、常に変化し続けているのだ。変化によって、良くなることもあれば、悪くなることもある。せめて悪くならないように積極的に関わらなくてはならない。それは実効的なものというよりも気持ちの問題だ。その意味で、研究者は実存主義者なのである。でなければ虚無的にならざるをえない。
民族自決
フィールド調査において、現地の共同体の動向に影響を与えないようにするのは、何よりも研究上の要請である。現地の社会を自分で改変してしまったら、記述研究にならない。しかしそれだけでなく、倫理上の問題もある。研究者は外部の人間である。内部の人間とは異なった動機で異なった関わり方をするだろう。ときに変化は破滅的な結果をもたらすが、それは少なくとも外部の手で行われるべきではない。
これはいわば「民族自決」の原則を敷衍したものである。