廃墟

サハリンではよく廃墟を見かける。ほとんどがソヴィエト時代の遺物である。大規模な工場跡、小さな集落にある整備工場跡、巨大な酪農場跡や、使われなくなった公共浴場・・・。そこにソヴィエト体制の失策を見てとるひともいれば、廃墟を整地すらしない社会主義体制のだらしなさを感じるひともいるだろう。ともに間違っていないのかもしれない。実際のところ80年代後半に始まったペレストロイカは多数の廃墟を生み出した。だが、そういった廃墟の放置を許すのは何よりもサハリンの広大さである。北海道とほぼ同じ面積で、人口は十分の一しかないから、土地はたくさんあるのだ。彼らはどんな設備でもいったん完成すると、結構大事に使い続ける。だが、そのうち致命的なダメージを受けたり、経済的に行き詰まったりすると、放棄せざるを得なくなる。日本であれば、古い設備を壊して撤去し、新しく作り直すところである。しかし、壊すにも金は必要だし、手間もかかる。とりあえずは必要な新しい設備を別な場所に建設して、廃墟は後でいつか片付ければいい。それが彼らのやり方である。だから、廃墟は必ずしも没落を意味するわけではないのだ。ひょっとすると最新鋭の設備が1km先に建設されているかもしれない。

ロシア人は北方民族に比べれば人口も多く、自然への負担の大きい「地球に優しくない」民族である。しかし、日本人よりはマシだろう。北海道は一見サハリンより美しいかもしれないが、それは見せかけである。北海道の自然は破壊し尽くされ、人工化されている。森林が残っているのは道路わきだけで、少し山奥に入れば伐採跡が広がっている。日本領サハリン、いわゆる「南樺太」の森林は数十年間で切り尽くされてしまっていた。北サハリンにも日本の権益があった。トゥミ川の河口に広がるヌイヴォ湾の砂州はかつて海の中の細長い森林地帯であったが、今ではほとんどが草原で、林が一部に残るのみである。地元のひとびとは「日本の会社が皆伐採してしまったんだよ」と言う。

アメリカ人

ノグリキ沖、オハ沖で油田開発が行われ、外国人もたくさん働いている。アメリカ人が数十年ぶりに太平洋を越えてサハリンに姿を現し、念願の石油開発に乗り出した。サハリンの中高年の人々は彼らに対しては複雑な感情を抱いている。冷戦時代には「アメリカ人は敵である」と教えられていた。それが、いきなり勝者であるかのようにやってきたのである。敗北感には慣れっこになったかもしれないが、そう簡単に警戒心は消えない。アメリカ人たちはサハリンの地方都市郊外に自分たちだけの警戒厳重な集落を造成している。滅多に町にはやってこないが、たまに電化製品を買いまくって帰る。地元のひとびとはアメリカ人と直接話をすることはない。アメリカ人のところで働くロシア人から噂話を聞くだけである。ロシア人たちは資本主義の欠点をおそらく我々よりは冷徹に見つめて来たが、ソヴィエト体制崩壊以降は社会主義の欠点も直視せざるを得なくなった。

ジャコウジカ

サハリンの中部から南部にかけて生息する。イヌほどの大きさの哺乳類である。江戸時代からアイヌ人にとって重要な狩猟獣だったらしい。「リクンカモイ」と呼ばれていた、と文献にある。現代アイヌ語ではオポカイ(opokay)、ニヴフ語ではムェック(meq)と呼ばれる。「リクンカモイ」(高いところ・にいる・狩猟獣)というからには山岳地帯に住むのだろう。地勢のなだらかな北サハリンにはいないらしく、名前も聞いたことがないというニヴフ人が多い。ロシア人相手に売れば高価だったかもしれないが、日本人相手ではせっかくの「麝香」も対していい商売にはならなかっただろう。肝心の味のほうは、美味しいという話も、不味いという話も聞く。

オオカミ

北海道での和人の悪業のひとつがオオカミの絶滅である。津軽海峡以南の珍獣「ニホンオオカミ」をどうしようが勝手だが、北海道まで来て高貴なオオカミを根絶やしにする権利はない。ちなみにここで「高貴な」というのはヨーロッパ的な文脈からではない。カントオロワアランケしたであろう、パセカムイ、ホロケウカムイは地上の秩序にとっても有益なはずだからである。なお、サハリンでもオオカミはほぼ絶滅したとみていい。1950年代に北サハリンで捕獲された個体の剥製がユジノサハリンスクにある。

アイヌ文化の伝統的な世界観では地上で最も重要とされるカムイがクマで、次がオオカミだろうか。まあ単純な順位づけにはあまり意味はないが。ニヴフ人にとってはその間にトラが入るようである。サハリンにトラはいないはずだが、海峡が凍ると大陸から渡ってくるのだ、という。

博物館の写真撮影

サハリンの博物館は、ロシア語が話せる人間にとっては非常に便利で、日本の博物館の比ではない。例えばロシアはどこもそうなのかもしれないが、ちょっとした追加料金で収蔵品の写真撮影が可能である。また、収蔵品の公開が法律で義務付けられている。知り合いの学芸員に頼めば、正式な書類を用意してもらえるだろう。日本の資料館や博物館のように「諸般の事情でお見せ出来ない」などと言われることはない。もちろん、裏を返せば日本のほうが著作権やプライヴァシーの保護がしっかりしているということでもある。だからどちらがいいとも一概には言えない。だが、ほかの見学者に迷惑がかかるほど込み合ってもいないのに、収蔵品の写真撮影をさせない日本や欧州の一部の博物館は傲慢である。

言い分はいろいろあろう。例えばストロボ撮影は収蔵品に悪影響を与える、とか。だが、一眼レフを持ってきている見学者に対して、それは失礼な言い分ではないか。私だってコンパクトカメラを買う前にストロボのオフ機能の使いやすさなどは必ずチェックしている。大勢の見学者のなかにはストロボ機能をオフにしない(出来ない)人もいる。だがそれは駄目な言い訳である。見学者を適切に指導するのは館側の義務である。そこまで手が回らない、というのは博物館側の「人手不足」が原因である。そこを認めたら、次にどうするかが問題だ。つらいところだが、収蔵品より見学者のほうが優先されるべきである。文化行政の貧しさを現場が肯定してどうするのだ。貧しいなら貧しいなりに楽しくやればよいのである。人手不足を理由に公開性が低下していいはずがない。サービスとはカラフルな写真入りパンフレットを用意することだけではない。欧州の博物館も予算が削られて苦しいのはわかる。だが、頑張って欲しい。博物館は美術館ではない。収蔵物は活用されてこそである。未来の人にとってどれだけ貴重かは疑問であるが、近代化の陰で見失ったものを探してくる見学者にとっては必要である。

著作権

日本製品がコスト高になって構造不況に見舞われるようになると、みな一斉に「著作権」だの「知的所有権」だのうるさく言い出した。研究者にとっても写真や文章は大切である。しかし、一般に言われるのとは少し意味合いが異なる。一般的には経済的な問題だと考えられているようだが、研究者にとってはそうではない。学問的価値と市場価値は一致しないことが多い。それに学問の成果自体は対価をとらずに利用できるのがよい。研究者は学問的価値が市場に見抜けるとは考えていないのである。

(2004年8月16日)

 雑文ページのtop 

HPに戻る