干し魚

ロシア人は本当は肉が大好きらしいが、サハリンでは魚もよく食べる。小魚の干物はポピュラーなおやつだ。ユジノサハリンスクの駅前からレーニン通りまでの道には物売りが並んでいる。ヒマワリの種やマントウ、ピロシキなどに加えて、干し魚売りもいる。干したキュウリウオやシシャモを食べてもあたったりしないから安心だ。きれいに着飾った若い女性がキュウリウオをつまみながら町を歩いているのには驚く。日本人は「魚好き」を自認するが、そこには精神的に尊重するという意味が含まれている。そこから多様な魚料理が生まれたのだろう。単に「たくさん食べる」のとは異なる。サハリンのロシア人も肉への執着を捨てるべきである。魚の価値を認めさえすれば日本人に負けない魚食文化を築けるだろう。

トバ

ロシア語では干し魚を「ユカラ」という。もちろん借用語である。日本語ではまあいろいろあるが、最近「トバ」という呼び名が流行りだした。「トバ」は「群れ」という意味のアイヌ語に由来する、という説が流布しているが、これは怪しい。普通「トパ」(topa)は獣の群れを指す。魚の群れは「ルプ(rup)」という。干し魚は「サッチェプ」(satcep)あるいは「サッペ」(sahpe)というのが最も普通だろう。秋田あたりに「トバ」に似た単語がないかどうか確認すべきである。

干し魚をニヴフ語では「マ」(ma)と呼ぶ。同じサケから作っても部位によって「マディル・マ」(madir-ma)、「マックル・マ」(maqqyr-ma)、「プキ・マ」(pyki-ma)、など様々な種類がある。このうち、最もたくさん作れる「マックル・マ」はサハリンのアイヌ文化に取り入れられ、「マックル」(mahkuru)と呼ばれている。

ホテル

州都ユジノサハリンスクは極端なホテル難である。数十万都市なのに数十軒しかホテルがないのだから当然だ。多いと思う方もおられるかもしれないが、ホテルは部屋数が少ないので日本とは比べ物にならない。しかも、ホテルに泊まるのは旅行客か出張と相場が決まっているので値段もべらぼうだ。2003年時点では一泊1万3000円が相場だった。もちろん地元のサハリン人にそんな金額は払えないから、誰もホテルには泊まらない。そもそもどこか別の町に行くときは、家族か知人がいるわけだから、そこに泊まればよい。日本人と異なり、知人を泊める習慣があるのだ。

ホテルのサービスも設備もあまりよくない。第一英語が通じない(ホテル文化は一応英語が共通語である)。お湯は出るが、たいていは時間制限がある。部屋に電気ボイラーを設置しているホテルもあるが、タンクが小さくてすぐに空っぽになり、数時間待たないと使えないことが多い。購買部がない、あるいはエレベータがない。サハリン全体がこんな調子である。だから旅行はコスト高だ。まあ、知っている限りではポロナイスクのホテルが若干安い。

外国人料金

現在では「外国人料金」というのは撤廃されている。ロシア国籍だろうが、日本国籍だろうが、同じ値段で同じサービスを受ける権利がある。だがホテルに泊まるとき、ロシア人客と別料金を取られているのに気づく。ここで怒っても仕方がない。実は部屋が二種類あるのだ。高額な「外国人向け」と低額な「ロシア人向け」である。前者は衛星テレビが見られたり、お湯が出たりする。後者は設備が悪い。この二種は大抵は階で分けられている。外国人を隔離するためだろう。かつては外国人向けの部屋に盗聴器が仕掛けられていたのかもしれない。いずれにしても、この料金差はある程度実質を伴った慣習らしい。だから「ロシア人と同じ部屋でいい」と交渉すると安い部屋に泊まれることもある(ユジノサハリンスクではまず無理だが)。なおホテルによっては設備が同じで値段だけ違う場合もある。

小話

ロシア人は小話が好きだ。小話というのは「アメリカ人が言った。『アメリカは自由の国だ。アメリカ大統領の悪口を言っても逮捕されることはない』。ロシア人も笑って応えた。『ソ連だって自由の国だ。アメリカ大統領の悪口を言ったくらいで逮捕されることはない』」なんてやつである。こういう政治的なテーマのものもあるのだが、たいていは単なる笑い話である。政治的自由を得たペレストロイカ以降の変化なのかもしれない。ニヴフ人が話す小話には「ニヴフ人とロシア人」がテーマになっているものもある。それらはニヴフ人でなくては無邪気に笑えない。

日本人は即興で小さな遊びをするのが上手だ。一対一ならある程度相手を楽しませることが出来る。だが、みんなが注目しているところでひとつ小話を、となると別だ。日本に「小話」や「スピーチ」の文化はないのだ。日本人の冗談は笑えないし、スピーチはだらだらと長い。ロシア人のスピーチ文化はロシア語とともにソヴィエト連邦中に広まったらしい。あらゆる少数民族が身につけている。サハリンでも同じだ。友人同士で酒を飲むときも順番にスピーチをする。それが宴会の会話なのだ。日本人のように隣とだけ話すということはない。

女性自慢

サハリンでは「ロシア人女性は美人だろう」とよく自慢される。初めはギョッとしたがもう慣れっこになってしまった。面白いことにニヴフ人も同じことを言う。「ロシア人女性は美人である」。ところがこれには続きがある。「彼らはモンゴル人やタタール人と混血している。だから美人が生まれるのだ」と言う。一般にニヴフ人はかなりの純血主義者である。彼らはロシア人のことを野蛮で文化程度が低いと馬鹿にしているが、混血が多いというのはさらなる悪口である。

「混血」に対するニヴフ人の意識は複雑である。基本的にはあまり気にしないのだが、例えばある村について「あそこは混血が多い。もうニヴフ人じゃない」と馬鹿にしたりする。「うちはアイヌ人の血が入っているから美人なのよ」という人もいれば、むしろそれを隠そうとする人もいる。地縁・血縁が強力なので、立場によっては「混血」がマイナスになるのだろう。

テレビ

サハリンの人々はテレビが大好きだ。これはソヴィエト時代かららしい。ラジオやテレビはつけっぱなしにしておかないといけない。新聞や広報が整っていないから、重要な情報入手手段だったのだ。そういうわけでテレビはよく壊れる。新しいのはなかなか買えないから、受像状態が悪いテレビで我慢する。緑色や赤色しか色が出なくなったカラーテレビをよく見かける。放送している娯楽番組は映画、ブラジルやメキシコの連続ドラマが多い。クイズ番組もあるが、アナグラムや言葉当てクイズが多くてよくわからない。

叙事詩や昔話について中高年のニヴフ人に質問すると、しばしば「テレビみたいなものだよ」と言われる。夜集まって叙事詩を聞くのは数少ない娯楽だったのだ、という。ソヴィエト時代には映画上映が行われ、やがてテレビ放送が始まった。今では叙事詩は語られなくなってしまった。

ケシュ

ニヴフ人の間でも、叙事詩はすでに語られなくなり、あらすじさえ忘れられてしまった。昔話もめったに聞かれない。だが、ニヴフ人女性の話し好きは変わらない。ニヴフ文化においては「男は無口」が美徳とされる。実際その通りで、昔の日本人のようだ。もちろん例外もいて話し上手な男性もいるが、それだって比較的、というだけである。しかし女性は話し好きで全然構わないらしく、今でも中高年のニヴフ人女性はニヴフ語でいろんな話をしてくれる。基本的には「ケシュ(k'erh)」と呼ばれ、単に「話」というくらいの意味である。体験談や伝聞だが、ちゃんとお話になっていて楽しめる。単なる噂話や愚痴などではない。

(2004年8月15日)

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