アジア人の顔(1)
サハリンで見かける「アジア系」の顔
サハリンではよくいわゆる「アジア系」の顔を見かける。北サハリンの「先住民」であるニヴフ人やウイルタ人は明らかに「アジア系」の顔をしている。あとからやってきた日本人や朝鮮人もそうである。ロシア連邦内のいわゆる「北方先住民族」の人々はだいたいが「アジア系」の顔つきである。普段ペテルブルクに住んでいるあるチュクチ人の女性は日本に来るとほっとする、と感想を漏らしていた。「周りがみんなアジア系の顔つきなので私も目立たない。だからほっとする」と言うのだ。ペテルブルクではヨーロッパ系の顔をしている人が大多数である。だからいくらペテルブルクが他民族国家の文化的首都だといっても、彼女は浮いてしまうのだ。
北東アジア地域はかつてはむしろアジア系の顔が主流だった。そして今でもアジア系が頑張っている。サハリンも例外ではない。サハリンの住民の多くはロシア系で、つまりヨーロッパ人のような顔つきをしているのだが、なんだかんだいってアジア系の顔も見かける。ユジノサハリンスクを訪れた人々は、屋台やお店でアジア系の顔を見かけることだろう。
さて、では彼らは何民族なのだろうか。ニヴフ人やウイルタ人だろうか。いやいや、観光客の目に先住民族の姿が入ることは滅多にない。街中ではカザフ人が携帯電話で何やら話をしている。商売の話だろうか、ロシア語ではないので内容は分からない。彼らは話を聞かれないように自分たち同士でなるべくカザフ語を使う傾向がある。花売りのおばさんたちは朝鮮人である。仕事帰りにキオスクで買い物をしているなかにはフィリピン人もいる。
なぜ「先住民」を見かけないのか
しかしなぜニヴフ人やウイルタ人を見かけないのか。まず人口が非常に少ないことが最大の理由である。ニヴフ人はサハリンにせいぜい3000人、ウイルタ人は400人くらいしかいない。そのうち「都市」に住んでいるのは半数ほどである。しかもその「都市に住む先住民」の多くはユジノサハリンスク以外の町に住んでいる。人口15万人を越えるユジノサハリンスク市内で彼らを見かける可能性はほとんどゼロである。
ではポロナイスクやノグリキ、オハなどの地方都市ではどうだろう。実はそれらの都市で見かける「アジア系」の顔の持ち主のほとんどは朝鮮人である。ポロナイスクやノグリキなどの小売業や漁業関連事業には朝鮮人が大きく進出している。戦後日本人がいなくなると、朝鮮人は技術者として日本の残したインフラの保守事業を引き継いだ。ペレストロイカ以降はあちこちの漁業組合にも進出した。さらにアレクサンドロフスクを中継基地として海外の物品を輸入し、各地で小売業をしている。サハリンで見かける行商も多くが朝鮮人である。ただし、雑貨の露店などは規制が緩むとすぐに中国人が乗り込んでくる(彼らは中国語を話しているのですぐに見分けがつく)。
サハリン社会において「先住民」といえばニヴフ民族だけれど、日本では「サハリンの少数民族といえばウイルタ民族」という感じで若干の差があるようだ。これは戦前の「オタスの杜」観光の記憶によるものだろう。そして最近は再び日本人観光客がサハリンを訪れるようになっている。彼らはポロナイスクあたりで「アジア系」の顔をした子どもを見つけ「あ、先住民族の子だ!」と写真を撮ったりする。だが、その子がウイルタ系である可能性と、日系である可能性は同じくらいである。残留日本人は400人ほどだと言われている。
「先住民」はどこにいるのか
ではニヴフ人やウイルタ人はどこにいるのか。繰返しになるが、彼らの半数は都市に暮している。彼らは都市ではマイノリティだが、数が少ないだけでちゃんと暮している。ただ、あなたが見かける「アジア系住民」はたぶん彼らではない。朝鮮人の方が人口比で10倍と圧倒的に多い。ポロナイスクだろうがノグリキだろうが事情は同じである。しかし、もう少し「田舎」にはニヴフ人が多い地域が3ヶ所ほど、ウイルタ人が多い地域が1ヶ所ある。そこまで行けば、あなたが見かける「アジア系住民」の3人に1人くらいはニヴフ人かウイルタ人である。
彼らの中には外部との接点を求めている者も多い。観光客に作品を売りたいと思っている「お土産物の工芸家」がいる。「民族音楽サークル」は観光客相手に有料公演をしたいと思っているだろう。私はそういったふれあいが増えるとよいと思う。サハリン先住民はここ20年ほど経済的に非常に苦しい状況である。基本的に観光事業に期待しているのである。
「先住民との出会い」を求める人のために
だが、私は当初わからなかったのだが、観光客やライター(新聞記者を含む)には、そういった関わりだけでは物足りないと思う人々も多いようである。彼らは「公園で遊んでいるウイルタ人の子ども」とお話をしたり、写真を撮ったりしたいらしい。あるいはニヴフ人が仕事をしているところを写真に収めたりしたいらしい。
いわれてみれば、その気持ちも理解できる。私自身、サハリンには知人を訪ねて行くのであり、仕事をしに行くのである。もし時間があればゆっくり観光したいスポットもたくさん思い浮ぶのだが、そんな機会は永久に来ないだろう。フランスや日本と違って、物見遊山の客が楽しめる土地ではない。ポロナイスクやノグリキに知人がいない人々は、何のためにそこに行くのだろうか。知人がいない人がサハリンを訪れるとき、擬似的にでも知人が欲しい、と思うのは当然かもしれない。
だが、実際のところそれは無理である。手順を踏まずに他人の領域に入ることは出来ない。大都会と違って、田舎では何事も時間がかかる。お手軽に「人と人とのふれあい」なんぞ経験できるはずがない。日本の地方都市に行くのと同じく、旅人は孤独である。ユジノサハリンスクからオハまで行っても、下手をすれば誰とも口を利かずに帰国する破目になるかもしれない。人との出会いを求めて目指すには、サハリンは都会人に不向きである。
私のおすすめは、まさに観光客の相手をしたいと考えている人々と友人として付き合うことである。日本では観光産業に従事している人々は、観光客と友人になったりはしない。観光産業は「公」であり、「私」ではないからだ。でもサハリンは狭い社会であり、公私はごちゃ混ぜである。そして、出来れば翌年にでも同じところを訪問して交流を続けるとよい。だんだんと知人が増えて行くことだろう。
(2009年3月9日)