ニヴフ人と日本人

 ニヴフ人のアイデンティティは重層的になっていて、大きな枠組みでは「ロシア人」であり、その中に「北方民族」があり、さらにその中の一員としての「ニヴフ人」としての自意識がある。だから、日本人と対するときには「かつての敵国人」を見ている。しかしその次に彼らは、それまであまり意識しなかった「アジア人」を発見するらしい。「アジア人」と言ってしまうといいすぎだが、日本人の中に「ロシア人より自分たちに似ている存在」を見るのだ。

 だから、彼らは彼らの言葉で「シズム」「シサム」と呼ぶ日本人に興味を示す。たんなる「金持ちの観光客」ではない。そして中国のような大国の人間でもない(中国はソ連時代からの友好国であり、ニヴフ人にとって漢民族はそれはそれで一種の「謎の他者」である。それについてはまた別の機会に)。だから、ニヴフ人は日本人を一種の仲間だと思っているふしがある。サハリンの住民の多くは何らかの形で日本と関係を持っている。日本で働いた経験がある男性は多い。経済的に余裕ができたらまず中国(「陸続き」で物価も安くビザも不要で行きやすい)旅行をするが、次に目指すのは北海道である。ニヴフ人も例外ではない。心の奥底に仲間意識を秘めた彼らが、北海道で歓迎されるといいと願う。

 

博物館の伝統

 サハリン州の州都ユジノサハリンスクには立派な博物館がある。日本時代からある由緒正しい博物館である。それに対して「日本人から歴史を盗んだな!」と怒る日本人もいるだろう。実際にサハリンでは「日本時代」は隠蔽されている。つい先年もユジノサハリンスク駅の駅舎ホールで「ユジノサハリンスク駅の歴史展」が開かれていたが、そこでも日本時代はおそらく故意に無視されていた。ユジノサハリンスクの歴史は帝政ロシア時代に関する記述、そして見事に第二次世界大戦後にすっとばされている。日本時代の写真は12枚隅のほうにあるだけ。まるでロシア人が独力でユジノサハリンスクを作り上げたかのようである。現在のユジノサハリンスクの原形は日本時代の豊原であり、帝政ロシア時代にはさびしい寒村にすぎなかったのに。

 だが、それはそれとして、実際に博物館に行くとまったく違う印象を受ける。そこにあるのは「伝統」である。日本時代から博物館は博物館であり、日本人もロシア人も博物館に「仕える」存在に過ぎない。博物館の主人は収蔵品であり、人間ではないのだ。さすがに博物館では日本時代の歴史を抹消することはできない。すばらしい収蔵品が数多く日本時代に収集されている。博物館にとって日本時代は間違いなく輝かしいものだった。そして館員たちもそのことを隠蔽する必要を感じていない。サハリン州博物館は文化施設としてきわめて政治的な存在である。だが、そこを訪れるとほっとする。実際には他のどこよりも政治臭さを感じない場所だと思う。

 

水汲み

 ニヴフ人の伝統的生活において水汲みは大事な労働だった。なるべく水場の近くに住んではいたものの、やはり頑張って水汲みをしていた。今では水道があるのだが、それでも美味しい水が欲しければ山の水場に行かなくてはならないことが多い。ノグリキ町で泊めていただいていた家の裏山にも美味しい水場があった。冬でもバケツを下げて水を汲みに行く。うっかり屈んでロシア語小事典を水の中に落としてしまったことがある。急いで拾い上げたが、あっというまに凍ってしまった。釣り上げた氷下魚のようだった。泊めてくれたリディアさんはまだまだこれからというときに亡くなった。彼女の仕事についてもいつか書いておきたいと思っている。

 

引越し

 ニヴフ人の中にはどんどん引越しをして居場所を変える人々と、一箇所に腰を落ち着けて動こうとしない人々がいる。ニヴフ伝統社会ではもともと巨大な集落を作ったりしない。それに何かあれば引っ越した。結婚相手を求めて遠くまで移動することも珍しくなかった。だが、「引越しが当然」と考えられていたわけではないようである。現在でもニヴフ人の生活感覚にはロシア人と異なる部分があるようだが、そのニヴフ人の意見も二通りに分かれる。「引越しはよくない」という意見がかなり強いのである。どうやら「引越しをせずにすむなら幸せだ」という考え方があるらしい。問題があれば引っ越して解決するのは当然として、そもそも問題がないに越したことはないのだ。当たり前といえば当たり前である。

 

インターネット

 ニヴフ人は自分たちにインターネット環境が必要だと思っている。英語も大切だと思っている。子どもたちには「英語を勉強しろ」と口を酸っぱくして言い聞かせているらしい。だが、いかんせん月額数千円の接続料はなかなか払えないし、パソコンだってかなり高い。私も今までニヴフ人のもとに何台か中古のノートPCを置いてきたが、こういうことは何とか組織的にできないものだろうか。先住民の教育環境・インターネット接続環境の整備は優先的に行われてもいいと思うのだが。

(2009年11月5日)

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