カル

伝統的なニヴフ社会にはいわゆる「氏族」制度があった。「カル(qhal)」と呼ばれる。日本語の「カラ」やアイヌ語の「クル」と音が似ているのでみんなが気にしている奴である。さて、その様相はサハリンの西海岸と東海岸では少し異なるようである。西海岸ではロシアや日本のファミーリアあるいは姓のようなものに近いように思われる。集落とは異なる固有名に近い。大昔に大陸側から移住してきたためだろうか。

東海岸では集落名がそのままカル名になっていることが多い。むろん移動した場合、普通はその名前も一緒に持っていく。ンガヴィルピンngavir-phingの場合、もともと今のナベリのあたりに住んでいたのだろうが、トゥミ川をさかのぼり、さらに分水嶺を越えてポロナイスクに引っ越してきた。それでも「ナベリ衆」と呼称しているわけだ。そういうわけでポロナイスクには「ナベリ衆」や「ピレヴォ衆」「ルイヴォ衆」「川上衆」「沿海衆」などさまざまになのる人々が一緒に住んできた。

ところが現在のノグリキでは少し異なる。もちろん集落名によって呼ばれる「タカルヴォ衆」「トゥグムチ衆」などがあった。しかし彼らは今や「ダギ衆」と呼ばれる。場合によっては他のカルと合わせて「チャイヴォ衆」とすら呼ばれることもある。ソ連時代の集住化(コルホーズ化)によってダギ、チャイヴォなどに大きな集落がつくられると、そこの集落名で呼ばれることが多くなったためである。一番最近の集住化段階でノグリキ市に統合されたために、今ではニヴフ人だけの集落すらなくなってしまったが。

チャリ

サハリン東方言内部においては、植物名称や魚類名称には比較的地域差が少ない。それでもいくつか異同がある。例えばニヴフ語「チャリ」はチルウンヴドやポロナイスクでは「カナボーベリ」を指すが、ノグリキでは「ガルビーカ」を指す、という。ところが困ったことに、辞書を引くとこの二つのロシア語は同じく「クロマメノキ」の意味である、とある。植物学的には何らかの基準で分類が行われているわけだが、ロシア語もニヴフ語も、そして場合によっては日本語(和名と「地方名」「俗名」が混在するのが現実である)もそれぞれ固有の「自分勝手」な分節化を行っているものなのだ。


サハリンでは貝の養殖はほとんど行われていないようである。少なくとも地元の人間にとっては貝とは「拾ってくるもの」である。しかし、ただ浜を歩いていても美味しい貝が落ちているわけではない。嵐のあとでなくてはならない。「××年の嵐のあとはたくさん貝が採れたんだ。バケツ一杯に拾ったものだ」などと語り草になっている。天然ものだから確かに美味しい。しかしレストランで頼むと非常に高価である。「昔はロシア人どもは貝なんぞ見向きもしなかった。それが今では目の色を変えているよ」とニヴフ人があきれ顔で言う。ロシア人は数が多いから、彼らの目が何かに向くと大変なのだ。根絶やしになるまでとり尽くされてしまう。北海道の和人と同じである。

トマト味

ポロナイスクには大きな漁業組合「ドゥルージュバ」があり、巨大な定置網漁もしている。ポロナイスク以外ではクリル諸島に一ヶ所あるだけの特殊な施設である。第二次世界大戦終了時に日本人から継承した技術なのだ、といわれている。さて、そのドゥルージュバ製の缶詰はかなり支持されているブランドで、確かに美味しい。ユジノサハリンスクでもよく売られている。そしてサハリンの魚といえば「カラフトマス」だが、その缶詰を買おうとすると必ずといっていいほど「これはトマト味だがいいか」と念を押される。そんなこと確かめるようなことだろうか。ロシア語のあまり得意でない私は「機関銃的だがいいか」と聞き誤って一瞬呆然としてしまった。味付じゃない「ナトゥラールヌイ」は人気があって売切れてしまうのだろうか。詳しい事情はよくわからないが、トマト味のカラフトマス缶はとても美味しい。お奨めである。

コマイ

たいていのニヴフ人がコマイ(navaga)が大好きである。この魚はアイヌ語ではカンカイkankaj、ニヴフ語ではqangiと呼ばれる(どっちからどっちに借用されたのかの判断は難しい)。北海道では干し魚にして売られているが、サハリンでは釣り上げられてすぐ凍ったまま流通している。これは生食が美味しい。釣って食べても、もらったり買ったりして食べてもいいが、なるべく新鮮なものを入手するとよい。まず尻尾のほうからナイフに巻きつけるようにして皮を剥き、頭と腹をとる。身は削るように切って凍ったままを食べる。切り方にはいくつかやり方がある。こういった食べ方をニヴフ語ではkyn-cho「凍った・魚」と呼び、talq-so「なまの・魚」と区別する。サハリンのアイヌ人も同じようにして食べていた。北海道でも凍った刺身を特にルイベと称する。これはアイヌ語ru-ipe「解ける・食べ物」からの借用語である。

新参者のロシア人もコマイなどの刺身をストロガニヌと称して食べるが、私の見たところ、ウハー(魚汁)にするほうが好きなようだ。ひるがえってみれば、北海道の新参者である和人もコマイを干して食べることが多い。刺身好きの和人の間でコマイのルイベが普及しないのはなぜだろうか。ルイベが定着したとはいっても居酒屋においてだけである。凍った魚に包丁をあてたことのない和人が大多数であろう。やはりニヴフ人やアイヌ人は北の生活に個人単位で適応している。年季が違うのである。

あいさつ

ニヴフ語には「こんにちは」や「さようなら」にあたる言葉がない。「ありがとう」もない(あるにはあるが滅多に使わない。アイヌ語でも気軽に使える定型的なあいさつやお礼の言葉はあまりなかったといわれる。しかし「北方に居住する民族にはあいさつやお礼の言葉はない」と短絡的に考えてはならない。例えばウイルタ語には「こんにちは」がある。また、民族性と安易に結びつけるのも危険である。ニヴフ人はあいさつしないわけではないからだ。ただ、定型的な言い方がないだけである。とはいえ「ウイルタ語にはあるのにニヴフ語にはなぜあいさつがないんだろうね?」とニヴフ人自身が不思議がる。こういった違いについてはお互いに興味深く感じており、冗談の種になったりしているのだ。

毛皮

ポロナイスクでは毛皮製品が安い。素晴らしい毛皮の帽子が1万円からで買える。これはユジノサハリンスクより断然安い。いうまでもなく産地だからだ。養殖場にはミンク、シルバーフォックスなどが飼われていて、腕に自信のあるひとは直接赴く。「これとこれの毛皮をください」と言って可愛いミンクの個体を指名買い出来る。「若い頃ちょっと毛皮工場で働いていた」なんていうおばさんたちが、自分でミンクをはいでコートを作っている。毛皮製品はおしゃれ着であると同時に実用品だから、まさに直接役に立つ技能である。ニヴフ人の場合は通常の毛皮獣に加えてアザラシ皮もレパートリーに入る。そんなサハリンから日本に帰ってくると貧弱な毛皮の利用にがっかりしてしまうものだ。たくさん使うか、ワンポイントに絞るか、というサハリン(ロシア?)スタイルを見慣れてしまうと、日本の毛皮は質が悪いだけでなく、使い方が中途半端だ。

(2005年2月16日)

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