現在のサハリンは経済成長がめざましい。経済成長率はロシア一番だそうだ。 実感としても毎年、いや半年毎くらいでも変化があるのが分かる。 我々一時滞在者にとっては食料品や電化製品に表れる変化が分かりやすい。 例えばどんどんお米が美味しくなっている。何より砂の含有量が減った。 米を炊く前に砂を選り分ける手間が少なくなるのは大歓迎だ。そう、これはとてもありがたいことだ。 どういうわけかサハリンで米を買うと、砂(というより石コロ)が入っているのだ。 そのまま炊くとあっという間に歯が欠けてしまう。数千年前の遺跡から出る人骨の歯がボロボロだというのもうなずける。 砂の入らない食事が出来るというのは、それだけでありがたいことなのだ。

もちろんサハリンは米作地帯ではない。米は中国から輸入している。 サハリンの人々は冗談めかして「中国人が目方を増やすために精米してから砂を混ぜるのだ」という。 まさかそんな、と思いつつも、歯でも欠いてみれば誰かを恨みたくもなる。 サハリンの人々には金歯をしている人が多いが、虫歯ではなく歯が欠けているのだろう。 いわば経年変化のようなものなのだ。因みに今主流のセラミック(白くかぶせるやつ)は金歯や銀歯などよりもろい。 サハリンでホームステイするなら、歯の治療済みのひとは気をつけたほうがよい。

地方都市

サハリンには南樺太が日本領だった時代に敷かれた鉄道が南北に走っている。 北を訪れる旅行者は特急「サハリン号」の特等に乗ることだろう。 日本領の面影を求めてきた人は、かつての辺境である気屯、古屯あたりまで行きたい。 ティモフスクで下車して旅行会社のチャーターした自動車(もちろん日本車)に乗り換えることになる。 だが、中には物好きもいて、せっかくだから北の終着駅ノグリキまで行きたい、と思いつく。 北へ行ってみればすぐに分かることだが、ロシアの町はどこも同じようなものだ。 日本と同じ、対して魅力のない地方都市があるだけだ。 2000年以降、北の町ノグリキで何人か旅行者に会ったが、彼らは異口同音に「何もない町ですね」と言った。

私の先生たちはそんな地方都市に住んだり、あるいは少し離れた集落に住んだりしている。 私自身日本の地方都市の出身だから、その退屈さ、無個性さは十分わかっている。 私にとって、単なるロシア人の町に魅力はない。 先生たちがいなければ、ノグリキだのティモフスクだのに行こうとは思わないだろう。 だが、先生たちが住んでいる、ただそれだけで、それらの町が地図上で光り輝いて見える。 ノグリキは私にとって地球上における、文化の中心地のひとつである。

北方民族(セーヴェルヌイ・ナロード)

サハリンにはたくさんの民族が住んでいる。彼らはお互いに異民族である、と認め合っている。 マイノリティ出身であることを隠さねばならない日本に比べると、それだけで素晴らしいことのように思える。 何せ日本では歌や踊りを強制されても「内心の自由」は侵害されていない、というばかばかしい言説がまかり通っている。 民族的アイデンティティが心のうちにしか認められないのも当然なのだろう。

現在のサハリンにおいては、各民族は基本的に平等であり、それぞれが民族としての権利を有する。 電話帳には様々な民族出身の苗字が並ぶ。 公的な援助を受けた民族音楽サークルがあり、公的なセレモニーで民族舞踊を披露する。 スターリン時代と違って民族固有の言語で話すのに臆する必要はない。 しかし、それでも全てにおいて同じ扱いかというとそんなことはない。 外来民族の筆頭たるロシア民族は、母語が連邦の行政用言語だから、それだけで有利だ。 学校では基本的にはロシア民族教育が行われる。 それに対して地元のいわゆる「北方民族」はずっと不利益をこうむってきた。 しかし彼らには希望すれば民族語教育が行われ、漁業免許の割り当てもある。 先住民族にはある程度の特権が認められるのである。 だからこそニヴフ人、ウイルタ人、エヴェンキ人らは利益共同体「北方民族」として団結する。 彼らはナーナイ人や残留日本人といったさらなるマイノリティに対して求心力を発揮しているのである。

カレーツィ人

ロシア人にも北方民族にも属さない民族がいる。カレーツィ人(朝鮮人)だ。 日本領時代に送り込まれて来た新参者だが、4万人近くいるから、数千人程度の北方民族より存在感がある。 彼らはロシア人と北方民族の中間的な存在である。 そのほかにもたくさんの民族がいるが、ウクライナ人やベラルーシ人は頑張ればロシア語が理解できるわけだから、 まあ地元からみればロシア人の一種だ。 タタール人やブリヤート人、最近増えたチェチェン人などは一種の流れ者だし、「サハリン人」を自称するときは謙虚になる。 それに対してカレーツィ人は完全にサハリンの地元民であり、民族語教育も行われている。 ペレストロイカ以降、急速に北方民族との関係を強化し、彼らの漁業組合を経済的に牛耳ってしまった。 ちなみに、現在のサハリン自体が完全に韓国製品の市場だ。その輸入販売に携わっているのはカレーツィ人が多いらしい。 日本製品は高いし、人気はあっても売れない。

中国人

最近上海からの中国人商人が増えたようだ。ここ2,3年であっという間におなじみになってしまった。 5年前(1999年)にはユジノサハリンスクで上海人のふりをしてもバレなかったくらいだが、今では到底無理だろう。 彼らの持ち込む中国製品は非常に安くて普及しているが、同時に粗悪品とみなされている。 使っているものが壊れると「やっぱりな、中国製だから仕方ない」と顔をしかめる。 でもロシア製のものに比べれば小さくて使いやすいのだ。

20世紀初頭までサハリンにはいろいろな民族が行き来していた。昔から中国人もぱらぱらと来ていた。 彼らの中にはニヴフ人共同体に同化した者もいたらしい。氏姓の創始に他民族がかかわるという伝承はたくさんある。 北方少数民族にとって、隣接民族とのかかわりは重要だった。 2003年にある町で「すごく珍しい民族の夫婦がいるよ」と言われたことがある。 「ターズ人といって大陸から来たんだが、とても人数の少ないひとたちらしい」という。 ターズ人は中露国境地帯の南部に住む民族である。かつてウデヘ語地域だったのが中国語化されて成立した民族とされる。 いつかお会いしてみたいと思う。 興味のある方はトゥングース諸語の研究者である風間伸次郎先生のエッセイなどを読まれるといい。

(2004年8月14日)

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