楽器としてのトンコリ

形状

 1m前後の長さの木材を刳りぬき、響板を張った弦楽器である。響板以外はたいてい一木作りである。片方の端に「糸巻き」があって5本の弦が張られている。日本語では「五弦琴」と呼ばれることもある。ネックが短かく糸巻き分の長さしかない。コマとコマの間には弦が板と触れる部分がないので各弦の音程は固定である。つまり、5音しか出ない。

 演奏する時は、胴を両手の手のひらで左右から挟み、指で両側から弦を弾く。一見ギターや三味線に似ているが、演奏法からいえばむしろハープに類似した楽器である。

 

第2次世界大戦による途絶

 北海道では早いうちに消滅したらしく、大正・昭和にはもう見られなくなっていた。もともと北海道では一部の地域にしかなかったものらしい。サハリンでは盛んに演奏されていたが、第2次世界大戦の巻き添えをくって事実上断絶した。サハリンのアイヌ人コミュニティが日本政府の「南樺太」放棄によって、和人(アイヌ人以外の日本人)と同様、北海道以南に移住し、伝統文化継承が中断したからである。

 サハリンと北海道ではアイヌ人コミュニティのあり方が少し異なっていた。サハリンの方が「民族差別」は少なかったようだし、暮らしにも余裕があった。トンコリも家庭内の楽しみとして続いていた。ところが、北海道の強烈なアイヌ民族差別、移住による窮乏化でそんな余裕がなくなってしまったのである。

 

戦後の製作活動

 サハリンでは多くの人々がトンコリを作っていたと推測されるが、その系譜はほとんどが途絶した。サハリンから移住した人々のうち、北海道でもトンコリを製作していたのは多くて数人である。そして彼らから製作方法を教わった人間はもっと少ない。実は現在のトンコリ製作流派はせいぜい2系統くらいのものが枝分かれしたものである。

 現在よく知られているトンコリはそういうわけで、かなりよく似ている。博物館に収蔵されているものは形・大きさとももう少しバリエーションがある。最近は博物館資料などを参考に独学で製作する人が多く、むしろ「復元楽器」の趣が出てきた。ちなみに、響板などに大きく模様を彫刻するのも、基本的には北海道で新たに考案された手法である。昔は縁取り程度だったようだ。

 

セミプロの産物としてのトンコリ

 この楽器はそもそもあまり長持ちしない。一木造りだから狂いやすいし、すぐに壊れる(割れてしまう)。古くなったトンコリはちゃんと「送り」をする必要があるわけだが、裏を返せば寿命が短いということでもある。

 伝統的アイヌ社会は日本やヨーロッパほど分業化した社会ではない。あえていえば、アイヌ人はみなが「万能人」である。家具も道具もみな手作りである。かつてのトンコリ製作者も「楽器職人」ではなく「セミプロ家具職人」「セミプロ彫刻家」に近い。アイヌ文化とその周辺の文化では木工に関して「一木造り」が尊ばれてきた。日本やヨーロッパでは複数の部品を組み合わせるところを、わざわざ削り出して腕をみせつけるのである。

 

トンコリの謎

 不思議なことに、トンコリにはほとんど地域差がなく、改良のあともみられない。トンコリと他の楽器の中間形態の楽器も周辺地域にはみられない(これについては別の機会に)。それらを総合すると、トンコリはあまり古くない時代(数百年前)に一気に広まった楽器なのではないだろうか。日本においても、三味線がやはり同じように一気に広まって、その後ほとんど改良されずに伝わっている。ヨーロッパやイスラム圏において、ある時期どんどん新しい楽器が考案され、改良を重ねられたのとは対照的である。

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