サハリンの哺乳類

 サハリンにいる大型の哺乳類は本来はヒグマだけである。オオカミ、ジャコウジカ、それにひょっとしたらクズリ、オオヤマネコなどをたまに見かけるかもしれないが、めったにあることではない。サハリンのニヴフ人の伝統的な世界観にもそれは表れていて、陸上の生物のなかではヒグマはまさに「神」の一族として別格の扱いである。

 そこへ後からトナカイが入ってきたらしい。いつのことかは分からない。サハリンのトナカイはトゥングース系の民族(おそらくウイルタ人)が家畜として連れてきたものである。トナカイ牧畜をしていたウイルタ人がいつ頃サハリンに定住するようになったのかもよく分からないが、おそらく数百年前なのだろう、そしてトナカイは野生化して狩猟対象となった。

 しかし、サハリンのニヴフ人の世界観のなかにトナカイがしっかりした地位を築くほどの時間はまだまだ経っていないらしい。昔話ではあまり活躍しない。狩猟対象としては人気がある。「アザラシの次に美味しい」とも言われる。新鮮なトナカイ肉の塩茹ではくせがなく、食べやすい。日本人の口にも本来は合うはずだ。北海道では一時食用として売り出したが、あまり受け入れられなかったのは残念である。

 

サハリンの零細サケ漁

 数年前、ノグリキで知人のニヴフ人にサケ漁に連れて行ってもらった。サケ漁は湾内(砂洲と岸の間)で小型ボートを用いて行う。数十メートルの長さの小さな網を数箇所に立て、数十分〜1時間ほどの間隔で見回る。知人はその上に鉄砲を用意して行った。何をするのかと聞くと「アザラシやカモがいるだろ」という。たしかに、見回っている間にカモの群れが通過し、アザラシが寄ってきた。サケ漁の季節は今では狩猟の季節でもある。

 伝統的な狩猟と、今の狩猟は全く様相が異なる。かつては狩猟は冬の仕事で10月〜11月に雪が積もってから始まったが、今では狩猟が解禁されればすぐに始まる。さらに一般人が行う狩猟の獲物は今では毛皮獣やヒグマよりもカモ、トナカイ、アザラシに比重が置かれている。特にアザラシ猟は今後も(まかり間違って禁止されでもしなければ)伝統として、他の狩猟が衰えたとしても、多少形を変えつつ続けられていくに違いない。毛皮獣は交易品として、ヒグマは儀礼のために重要だったが、アザラシは食文化の要だったし、今でもそう考えられている。

 さて、その片手間の猟では驚いた。アザラシは発砲されても平気でまた近づいてくるのだ。ただ、今の都会暮らしのニヴフ人の腕ではなかなか当たらないようだった。ひょっとしたら罠を用いたほうが確実かもしれない。結局獲物は無かったが、サケ漁は勉強になった。サハリンの小さな漁業組合は、トップはニヴフ人やロシア人でも、コリアン人が幹部になって実質的に仕切り、ロシア人が働いているらしい。コリアン人は南米の日系人のように、ホワイトカラーとしてペレストロイカ以後のサハリン社会に地位を確保しているようである。ロシア人漁師はほんとうに船上でウォッカでべろべろになりながら仕事をしていたが、それでもサケはちゃんと網にかかる。そしてどれだけ酔っ払おうが漁師は網を回収して帰ることはできるのだった。

 

漁業組合のコリアン人

 サハリンでは漁業権益を巡る対立において、コリアン人の存在が微妙な影響力を持っている。つまり、ニヴフ人VSロシア人という「民族問題」の裏に、表に出ない実質的な実力者層としてコリアン人が隠れている。中部のポロナイスクでは巨大な漁業組合がコリアン人をトップに据えて存在しているが、北部では「ニヴフ人」こそが本来の漁業権を有する先住民なのだ。そこではあくまで前面に出るのはニヴフ人である。今後はコリアン人が前面に出てくることも考えられる。そうなると民族問題はますます混迷するだろう。ただでさえ無視されがちな少数民族がどのように扱われることになるのか、あまり明るい将来は期待できそうもない。コリアン人の中には「先住民社会と共闘しよう」という者もいるが、少数派のようである。

 

アレエフカ村のケース

 アムール地方の河口地域ではコリアン人は大規模な人口を抱えていない。したがって「民族対立」はニヴフ人VSロシア人というシンプルな構図である。ニヴフ人の漁業組合は次々に「統合」され、実質的にはロシア人の巨大漁業組合だけが残ることになる。たとえばアレエフカというニヴフ人が多い小集落では書類上漁業組合が「廃止」された。漁業権を持つニヴフ人たちはそこに住み続けたが、予算が停止されたために大型の漁業施設が作れず、自前でほそぼそと漁業を行うことになった。

 ところが、最近は近くのロシア人主体の漁業組合が「出張」する形でアレエフカの漁場に巨大な漁業施設を作っている。アレエフカのニヴフ人たちは、目の前でロシア人が魚を獲っていくのを指をくわえて見ているだけである。こういった構造的な経済格差は、現在ではますます酷くなっている。アムール現地に散らばるニヴフ人たちは何とかしようとしているが、なかなかうまくいかない。末端では力が強いものが勝つ。そしてロシア人は常に行政当局にコネクションを持っている「強者」である。ソ連時代にはあった人材登用システムが消滅し、ニヴフ人は行政に食い込めずにいる。

(2009年11月7日)

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