『itahcara』 6号 (2009年 北原次郎太・田村雅史 編) 掲載論文

サハリンの口琴再考

篠原智花 丹菊逸治

 

1. はじめに

サハリンのアイヌ民族、ニヴフ民族には木製口琴・金属製口琴の両方が伝承されてきた。本稿では

 

(1)   サハリンの「引き棒の長い弁切り出し型口琴(竹口琴)」の分布が西海岸に限定される(先行研究の資料から)こと

(2)   弁取り付け型口琴(鉄口琴)の「まさかり奏法」はニヴフ民族の間に広く分布している(調査結果から)こと

 

の2点を指摘し、さらにこれらの口琴文化の伝播ルートについて考察する。

 

2. サハリンの口琴の概観

2-1. サハリン地域の口琴のタイプ

サハリン地域の口琴を民族・方言集団ごとにまとめると、タイプと名称は以下の表のようになっている。

 

種類大別

素材

種類

アイヌ語

サハリン方言

ニヴフ語

サハリン方言

ニヴフ語

アムール方言

ウイルタ語

弁切り出し型

木製

木製・弁切り出し型

(引き棒が短い)

 

muhkun muhkuna

 

qoG

tif qoGoη

(なし?)

(なし?)

木製・弁切り出し型

(引き棒が長い)

(なし)

qaηGa

irl∂ qaηGa

t∂f qaηGa

kuηgaa 主格形

kuηgakkaa(対格形)

真鍮製

真鍮製・弁切り出し型

(引き棒がない)

(なし)

(なし)

(なし?)

真鍮製・弁切り出し型

(引き棒がある)

(なし)

(なし)

qaηGa

(なし?)

弁取り付け型

鉄製

 

鉄製・弁取り付け型

kaani muhkun

vat qoηGoη

za qaηGa

mux∂n∂

註1 ウイルタ語名称については、池上二良(1997)によった

註2 「なし」とあるのは話者からの情報でおそらく存在しないこと、「なし?」とあるのは情報がないことを示す。

 

本稿ではこの地域の口琴を形状・製作法から、まず「弁切り出し型」と「弁取り付け型」に大別する。前者は北海道アイヌ民族の「ムックリ」などが有名で、弁が一体整形で切り出してある。後者はサハ民族の「ホムス」などと同じ形状であり、別部品で作られた弁が枠に嵌め込まれている。両者は演奏法も異なる。演奏法から見れば、前者は「弁をひもで引っぱるタイプ」であり、後者は「弁を指で弾くタイプ」である。つぎに「弁切り出し型」について、素材から「木製」/「真鍮製」に分ける。さらに木製のものについて、「引き棒の長いもの」/「引き棒の短いもの」に分ける。真鍮製のものについては、「引き棒の有るもの」/「引き棒の無いもの」に分ける。引き棒の有無や長さはやはり演奏法に影響する。引き棒の長いものは棒の慣性を利用して引っぱる。引き棒の短いものあるいは、引き棒のないものは、直接手で引っぱるだけである。

以上で5種が区別される。なお「木製」の材の樹種としては竹のほかに、カラソフスキー(1985)によれば「カラマツ」、直川礼緒(1992)によれば白樺などが使用される。本稿ではアイヌの「木製・弁切り出し型の口琴」のうち竹製のものを「竹口琴」と呼ぶことがある。また、「鉄製・弁取り付け型の口琴」をたんに「鉄口琴」と呼ぶこともある。

 

2-2. 口琴の名称について

 北東ユーラシアにおける口琴の名称については別の機会にゆずりたいが、地域ごとに類似性の高い「共通語彙」といってもよい語が存在する。おそらくモノと同時に名称が伝わったのであろう。ニヴフ語においても、アイヌ語においても、木製口琴をたんに「口琴」と呼び、鉄口琴を「金属製の口琴」と呼ぶ。これは両民族において木製口琴のほうが古く、鉄口琴のほうが新しいことを示唆する。

 

3. 長い引き棒を持つ「弁切り出し型」の木製口琴の分布

3-1. サハリンのアイヌ民族の竹口琴

北海道のアイヌ民族に伝承されてきた「ムックリ」と呼ばれる「木製・弁切り出し型」の口琴、いわゆる「竹口琴」は、世界的にみれば(口琴愛好家の間ではよく知られていることだが)けっして珍しいものではない。サハリン・アムール地域や東シベリアはもちろん、中央アジア、西シベリア、雲南地方などでも同じような形式のものが伝承されている。

網走にある北方少数民族資料館「ジャッカ・ドフニ」にはサハリン西海岸恵須取出身のFH女史(1901年生まれ)の製作による木製(竹製)・弁切り出し型の口琴が収蔵されている。「引き棒」が直径約1〜2センチ長さ20数センチの棒状になった形式のものである。従来この形式がサハリンのアイヌ民族の口琴の典型とみなされる傾向があった。例えば北海道立北方民族博物館には「サハリンアイヌの口琴」として引き棒が長いものが、「北海道アイヌの口琴」として引き棒が短いものが並べて展示されている(収集地などから、これもおそらくFH女史の家族・親戚の手によるものと思われる)。

だが、同じサハリンでも東海岸では引き棒が短い木製(竹製)・弁切り出し型の口琴(竹口琴)が使われていた。田邉尚雄が1923年にサハリン東海岸で採集した竹口琴は引き棒が短い。採集地は明記されていないが、おそらく白浜と思われる。また、黒沢隆朝(1984p90に掲載された写真で、サハリン東海岸栄浜出身の女性が構えている竹口琴の引き棒も短い。北海道の竹口琴(引き棒が短い)を使用した可能性もあるが、そもそも引き棒の長いタイプと、短いタイプでは演奏法が大きく異なる。黒沢の取材時にすぐに演奏できたのだから、東海岸在住当時も北海道と同じく引き棒の短い竹口琴を用いていたのであろう。

 

3-2. ニヴフ民族の「弁切り出し型」木製口琴

弁切り出し型木製口琴はニヴフ民族にも伝承されている。そのうち、引き棒が長いものは、カラソフスキー(1985)のイラストおよびマムチェヴァ(1996)の写真で確認できる。この2例はやはり西海岸(アムール方言地域)のものである。カラソフスキー(1985)は西海岸ルブノエ沿岸の例をあげている。なお、彼がオハの木製口琴製作者として言及しているニヴフ人女性アキリャク女史も、白石英才・ローク編(2002)によればチンガイ出身である。

マムチェヴァ(1996)にはネクラソフカ村の引き棒が長い口琴の写真が掲載されている。残念ながら写真の印刷が不鮮明なため材質が判別できない。現在のネクラソフカ系統の民族音楽アンサンブル(民族音楽サークル)では、真鍮製・弁切り出し型口琴が使用されている。それらは西海岸のチンガイ村出身者の系統の人々の手によるものである。トゥミ川河口のノグリキ町の民族音楽アンサンブルでも引き棒のない真鍮製・弁切り出し型口琴が使用されているが、やはりネクラソフカ村の系統のものである(ブーラト・キモフ氏製作による)。ガリーナ・ローク女史によれば、かつては銃の薬きょうで作ったという。カラソフスキー(1985)は金属製のものは比較的新しいという見解を示している。薄板として金属板を用いる例はほかにトゥミ川流域(サハリン方言地域)のチルウンヴド村で早くから作られていた「空き缶一弦琴」などがあり、ニヴフ文化においてはよくみられる置き換えである。

なお、チルウンヴド村では数十年ほど前に弁切り出し型木製口琴が存在したが、その引き棒は短かったらしい(ウリタ女史からの聞き取り調査による)。

シュレンク(1903)には木製・真鍮製の両方の弁切り出し型口琴がイラストつきで掲載されている。イラストではひもの端はそのまま途切れている。ひもの端が輪になっていたか、あるいは引き棒がついていたか、などはイラストでも文章でも何も述べられていない。おそらく引き棒はついていなかったのであろう。形状についてはかなり詳細に述べているので、もし引き棒がついていたとすればその旨記載したはずである。残念なことに分布地域については詳しく述べられていない。

こうしてみると、ニヴフ民族の引き棒の長い木製・弁切り出し型口琴、および引き棒がない真鍮製・弁切り出し型口琴は、少なくとも現時点では西海岸北部アムール方言地域(ルブノエ村、チンガイ村)に伝承されてきたものとみなすべきである。サハリン方言地域では木製・弁切り出し型口琴に関しては、アイヌ民族のものと同じく引き棒が短いものしか情報がない。アムール地方(アムール川流域およびバイドゥク島など海岸地域)においては、弁取り付け型の鉄口琴に関する情報しか得られなかった。弁切り出し型口琴の伝承は確認できていない。この地域に関しては情報がほとんどない。

 

3-3. ウイルタ民族の弁切り出し型木製口琴

国立民族学博物館には石田収蔵が採集した引き棒が長い木製・弁切り出し型口琴が収蔵されており、台帳によればウイルタ民族のものである。だが、直川礼緒(1994a)によれば必ずしもそうとは言い切れないようであり、館側でも「推定」としている。石田収蔵の調査ルートからみると東海岸で採集された可能性もあるが、彼の没後しばらくしてからの収蔵であり、はっきりしたことは判らない。

 

3-4. サハリンにおける「長い引き棒」の分布

つまり現時点では、引き棒が長い木製・弁切り出し型口琴は、アイヌ民族においては西海岸中部恵須取(えすとり)あるいは来知志(らいちし)(アイヌ民族居住地域のほぼ最北端)、ニヴフ民族においては西海岸北部ルブノエ、チンガイにおいて確認されるだけである。この地理的分布は偶然とは思われない。来知志は近代においてもニヴフ人にとって西海岸と東海岸の間の中継地点だったことが聞き取り調査から分かっているが、もっと古くさかのぼる可能性がある。

 

3-5. ウリチ民族の「長い引き棒」

 引き棒が長い木製・弁切り出し型口琴は、アムール川下流域においてニヴフ民族のすぐ上流で接しているウリチ民族の間にもみられる。このことに初めて着目したのはおそらく直川礼緒(1994a)であり、前出のサハリンで採集された国立民族学博物館収蔵品との類似を指摘している。だが、両者の間には少なくともアムール地方のニヴフ民族が存在し、その口琴に関する情報は不足している。また、ウリチ民族内部における「長い引き棒」の分布、そもそも短い引き棒のものが存在するのかなども今後の検討課題である。だが、ウリチ文化とニヴフ文化には共通性が高く、これらが無関係とは考えにくい。しかもサハリン北部西海岸(ルブノエ)、中部西海岸(恵須取)はかつてのいわゆる「サンタン交易ルート」上にある。言語資料や呼称の研究から「サンタン人」にはウリチ人が多かったと推測されている。間宮林蔵は「サンタン」を他称「ジャンタ」からの訛化とするが、その「ジャンタ」は20世紀初頭まで現在のポロナイスク(敷香)まで訪れてきていた。そして「ジャンタ」はニヴフ民族の一部に父系リニッジ(いわゆる「氏族」)の名称として残されている。

 こうしてみると、引き棒の長い木製・弁切り出し型口琴は、ウリチ民族が交易ルート沿いに持ち込んだものなのではないだろうか。

 

4. 金属口琴の「まさかり奏法」

4-1. ニヴフ民族の「まさかり奏法」

サハリンにおいて、まさかりを肩に担ぎ、弁取り付け型鉄口琴をそれに当てた状態で弾く「まさかり奏法」が存在することは、しばしば指摘されてきた。口琴研究においては、直川礼緒(1994c)、戸部千春(1994)、下村五三夫(1994)などである。日本側の江戸時代の文献資料では数点のイラストが存在し、多くの研究で取り上げられているが、演奏者はいずれもニヴフあるいはウイルタ民族と考えられている。ウイルタ民族の例としては池上二良(1997)の「mux∂n」の項目に「まさかりに当ててさきを口にはさむ」とある。ニヴフ民族の例としては、シュレンク(1903)に「振動の純化を助け、音量を上げるためにまさかりの刃に当てて弾く」とある。地域がアムールかサハリンかは明記されていない。また、田邉尚雄が1923年に樺太の敷香で撮影した写真が存在する。田邉尚雄(1978)には、形状ははっきりしないが金属器にあてて「ギリヤーク族」の男性が口琴を弾いている写真が掲載されている(「ギリヤーク」はニヴフ民族に対する古い他称である)。

この「まさかり奏法」はニヴフの間では広く行われていたらしい。最近の調査結果ではノグリキ町近郊のヴェニ村(ヴェンスコエ)のリディア・ムヴチク女史(チルウンヴド系統)は父親がそうやって演奏していたのを記憶しており(2005年の篠原による調査)、サハリン湾バイドゥク島のパナク女史はハンマーを用いて実際に演奏してみせてくれた(2008年の丹菊による調査)。

 

4-2.「まさかり奏法」の目的

パナク女史によると、この奏法は歯が悪くなった高齢者でも大きな音が出せるのだという。この証言はシュレンク(1903)の報告と一致する。弁取り付け型口琴(鉄口琴)は通常は歯にあてて音を出す。だが、歯の代わりに金属塊にあてても同じ効果が出せるのである。実際に教わったとおりに弾いてみると、鉄口琴を金属器にあて、歯にあてずに演奏しても、通常の演奏法によるのと同じような音が出る。いろいろ試したが、小型のハンマーなどでも可能である。枠の振動を抑えるのが主目的と考えられる。従来の研究では金属器に対する信仰との関係も推測されていたが、少なくともパナク女史はそのような見解を持ってはいない。純粋に「歯が悪いのを補うため」である。パナク女史は高齢のため歯が悪く、金属器がなければ音が出せないからである。

まさかり(k??)あるいは手斧(pandju)はニヴフ民族の間ではロシア人到来以前から普及していた。特にクレイノヴィチ(1973)などで言及されている、pandjuと呼ばれる手斧は名称からしてもおそらくアイヌ経由で入手した日本製である。これについては丹菊逸治(2007)で示した(ニヴフ語pandju「ちょうな、手斧」<アイヌ語panco「ちょうな、手斧」<日本語「番匠」)。だが、これらと鉄口琴を組み合わせる演奏法は、必須のものではない。例えばノグリキの民族音楽アンサンブルでの演奏はまさかりを用いない。だが、演奏者の歯の状態と関連しているのであれば、この奏法を採用するかしないかは地域差ではなくむしろ個人差によるであろう。今のところバイドゥク島やチルウンヴドでしか確認できていないが、この奏法はより広範囲に行われていた可能性が高い。

 

4-3. なぜ「アイヌ民族にない」のか

興味深いことに、この奏法はアイヌ民族の間では確認できない。「まさかり奏法」が歯の悪い場合に行われる「たんなる実用的な奏法」だったとすると、アイヌ民族の間でも行われていたはずである。だが松浦武四郎などアイヌ民族に関する情報が豊富に得られたはずの調査者の報告には「アイヌ民族のまさかり奏法」はない。アイヌ民族の間でkaani muhkunとして知られる弁取り付け型鉄口琴は、流通していた絶対量が少なかったのではなかろうか。現在までのところ、アイヌ民族の鉄口琴の記録はサハリンに限定され、しかも非常に少数の伝承例しか知られていない。

 

4-4. ウリチ民族の「まさかり奏法」

直川礼緒(1994c)は「まさかり奏法」がアムール地方のウリチ民族の間にもあるという重要な指摘をしている。こちらは「長い引き棒」と異なり、ニヴフ民族の間にも広く分布している。したがって、起源や伝播方向の推定についてはより慎重にならざるを得ない。歯の悪い奏者の工夫だとすると、各地で発生したのかもしれないが、そのためには「まさかり」かそれに似た道具が必要である。つまりこの奏法は「まさかり」等の質量の大きな金属器と同時に伝播していった可能性が高いと思われる。そうすると他の口琴文化の伝播方向とは逆に、サハリンアイヌ(?)→ニヴフ→ウリチという方向だった可能性を考慮すべきであろう。

 


5. 結論

アムール・サハリン・北海道における口琴分布の断絶と連続性は以下のようになる。

 

タイプ・地域

アムール

ウリチ

アムール

ニヴフ

ウイルタ

サハリン

西海岸

ニヴフ

サハリン

西海岸

アイヌ

サハリン

東海岸

ニヴフ

サハリン

東海岸

アイヌ

北海道

アイヌ

木製・弁切り出し型

(引き棒が短い)

×

木製・弁切り出し型

(引き棒が長い)

×

×

×

真鍮製・弁切り出し型

×

×

×

×

鉄製・弁取り付け型

 

×

「まさかり奏法」

 

×

×

×

 

木製・弁切り出し型口琴の2タイプのうち、引き棒が長いものはウリチ民族からサハリンの西海岸のニヴフ民族、アイヌ民族にかけて分布する。引き棒が短いものは東海岸のニヴフ民族、アイヌ民族、さらに北海道のアイヌ民族まで分布する。弁取り付け型鉄口琴は北海道のアイヌ民族には伝わっていない。サハリンにおいてもアイヌ民族の間にはあまり普及していなかった可能性が高い。しかしウリチ民族からニヴフ民族までは広く同じ演奏法(まさかり奏法)が普及していた。つまり、均質な「サハリンの口琴文化」などは存在していなかったのである。実際の口琴文化は民族や島などにとらわれない。そこからは静的ではなく動的な「口琴ルート」の姿が見えてくる。

本稿で指摘したのは、北東ユーラシア地域における「口琴ルート」の一端である。つまりアムール・サハリン地域においては、トゥングース系諸民族の居住地を起点とし、アムール川を下って北上、次にサハリン島北部に渡って南下し、アイヌ民族に達する。これは「サンタン交易」ルートと重なる。引き棒の長い口琴や鉄口琴はこのルートを通って伝わったのであろう。さらに、より古い時代にあったはずの、最初の木製・弁切り出し型口琴の伝播方向もこれと同じであった可能性が高い。木製・弁切り出し型の口琴はアムール川沿いにサハリンから北海道まで分布するが、本州島にはみられない。本州島から北海道へ北上したとは考えにくい。一方、同じ方向で伝播したと思われる弁取り付け型口琴の「まさかり奏法」は日本の金属器とも関係し、逆にサハリン島を北上した可能性がある。

カムチャツカ方面では、コリャーク民族の間に金属製(篠原の聞き取り調査によると骨製もあったらしい)・弁切り出し型の口琴が存在する。また、イテリメン民族には木製(あるいは骨製か?)口琴の録音が存在するが形状その他詳しいことはよくわからない。これらは北海道からの北上だけでなくマガダン方面から伝播してきた可能性を考慮すべきであろう。ヴェルトコフほか(1975)によれば、エヴェン民族に木製・金属製、エヴェンキ民族に木製・骨製、ネギダール民族に木製の弁切り出し型口琴が存在しており、アムール川流域まで連続性を示している。この広い地域の弁切り出し型口琴の形状の差異は、例えば台湾の諸民族の間にみられる弁切り出し型口琴の形状の差異よりずっと小さい。このことからは比較的短期間で広まった可能性が考えられる。

口琴は世界中にみられるとはいえ、アフリカ、アメリカにはないなど、地域的に偏在する楽器である。弁取り付け型の製作には鍛冶技術が、弁切り出し型の製作には金属器(薄刃のナイフ)が必要である。北東ユーラシアにおいても伝播経路を推定することはある程度可能と思われる。

 

参考文献

 

池上二良(1993)『ウイルタ語辞典』 北海道大学図書刊行会

ウイルタ協会資料館運営委員会編(2002)『北方少数民族資料館 ジャッカ・ドフニ 展示作品集[改訂版]』 ウイルタ協会

ヴェルトコフほか(1975) Вертков К Благодатов Г Шзовицкая Э Музыкальных Инструментов Народов СССР изд. Музыка Москва 1975

カラソフスキー(1992)「サハリンのニヴフ族の楽器」『口琴ジャーナル』No.5 日本口琴協会 p6-8 島添 貴美子訳・直川礼緒監修 Колосоцский А.  С. Музыкальный инструмент сахалинских нивхов в помощь руководителю ансамбля Оха 1985

京都市立芸術大学日本伝統音楽研究センター2006『田邉尚雄・秀雄旧蔵楽器コレクション図録』 京都市立芸術大学日本伝統音楽研究センター

クレイノヴィチ1973 Крейнович Е. А. Нивхгу Москва 1973.

黒沢隆朝1984『図解 世界楽器大辞典』 雄山閣出版

下村五三夫1994「アイヌ民族の口琴と喉遊びについて」『口琴ジャーナル』No.8 日本口琴協会 p23-27

シュレンク1903 Шренк Л. И. Об инородцах Амурского края т3 изд. Академии наук 3т. СПб 1903

白石英才・ローク編(2002)、白石英才・ガリーナ=ローク編 中川裕序文『ニヴフ語音声資料1−V.アキリャーク=イヴァノーヴナの民話−』(ELPR「環太平洋の言語」報告集)

直川礼緒(1992)「サハリンに口琴を訪ねて」『口琴ジャーナル』No.5 日本口琴協会 p10-11 

-------1994a)「口琴の美8 ハバロフスク地方ウリチ地区、ロシア」『口琴ジャーナル』No.8 日本口琴協会 p3

-------1994b)「ウリチの口琴を訪ねて」『口琴ジャーナル』No.8 日本口琴協会 p4-6

-------1994c)「マサカリを使った口琴演奏法〜環北日本海の口琴の共通性〜」『口琴ジャーナル』No.8 日本口琴協会 p11-14

-------2005)『口琴のひびく世界』 日本口琴協会

田邉尚雄(1927)『島国の唄と踊』 磯部甲陽堂

-------1978)レコード『南洋・台湾・樺太諸民族の音楽』東芝EMI

丹菊逸治(2007)「ニヴフ語、アイヌ語、ウイルタ語の民具関連の共通語彙について」 中川裕編『アイヌを中心とする日本北方諸民族の民具類を通じた言語接触の研究』所収 科学研究費補助金(基盤研究B)成果報告書

ドゥヴァン、ナジェージダ(1994)「ウリチの楽器」『口琴ジャーナル』No.8 日本口琴協会 p7-10

戸部千春(1994)「松浦武四郎の見た口琴演奏法をめぐって」『口琴ジャーナル』No.8 日本口琴協会 p14-15 

マムチェヴァ(1996 Мамчева Н. А. Нивхская музыка как образец раннефольклорной монодии. Южно-Сахалинск 1996

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