ニヴフ語、アイヌ語、ウイルタ語の民具関連の共通語彙について

 

1. はじめに

 

ニヴフ語民具名称リスト(別稿)では、「民具」の定義を広くとり、なるべく多くの関連名称を採録している。結果として全868語には「石」「棒」などの普通名詞も含まれている。したがって狭い意味での「民具」名称であればもっと少ない数字となることをお断りしておく。複数の民族にまたがる厳密な「民具」の定義については今後の研究の進展にまちたい。

 

同リスト868語のうち、例えばアイヌ語と共通と思われるものは44語(約5%)である。前述したように、この比率自体は「民具名称における共通語彙の比率」とはいえない。ニヴフ語とアイヌ語の語彙を比較すると、一般に動植物語彙・民具名称には共通語彙が多い反面、普通名詞や動詞には共通語彙は非常に少ないという印象を受ける。したがって前述した通り、狭義の「民具」においてはこの数字はより大きくなるだろうことが予想される。

 

ニヴフ語、アイヌ語、ウイルタ語の3言語の共通語彙数は17語、ニヴフ語とアイヌ語のみの共通語彙数は

25語、ニヴフ語とウイルタ語のみの共通語異数は41語である(ただし、「イヌ橇」は重複して数えてある)。ウイルタ語とアイヌ語のみで共通なものが4語あげてあるが、これは「ニヴフ民具名称リスト」には含まれていない。あくまで参考程度のものである。今後研究が進めばもっと見つかる可能性がある。

 

語彙数

ニヴフ語

アイヌ語

ウイルタ語

満洲語

17

-

25(24)

×

-

41

×

-

4(参考)

×

-

5(参考)

○-

×

×

合計92語(91語)

 

 

 

 

(カッコ内は「イヌ橇の牽き綱」「イヌ橇」を一つに数えた場合)

 

この表はあくまでニヴフ語を中心としたものである。この数字からかろうじて言えるのは、ニヴフ語の民具名称は、アイヌ語よりもウイルタ語と共通性が高いらしい、ということである。以下では、これら92語について解説を試みる。92語の表を本稿末に付した。868語のリスト本体とは比較のために多少改変してあり、番号も独自である。以下本稿でそれらの項目に付した番号は本稿末付表内のものである。

 

2.アイヌ語を含め広く北方に分布するもの

 

ニヴフ語、アイヌ語、ウイルタ語の共通語彙であり、さらに広く満洲語などとも共通の語彙がみられる。そのいくつかは交易品として流通していたものと考えられる。交易品ではないものにもイヌ橇関連語彙をはじめとして、北方からアイヌ文化への影響と思われる共通語彙はみられる。一部の語彙には特徴的な音対応もみられる。逆にアイヌ語からウイルタ語、ニヴフ語への影響も指摘されている。しかし借用方向がわからないものもかなりある。また、アイヌ語sintokoのように類似語彙がユーラシアに広く分布するものもある。

 

2-1. 交易品の語彙

(16)木綿、綿(わた)、(5)茶、(7)酒、(6)箸、(28)タバコ、(73)タバコつめ棒、(74)キセルの吸口、(11)キセルの銅

 

木綿、綿(わた)、茶、タバコはアムール下流地域から、サハリン島、北海道にかけてニヴフ民族、ウイルタ民族、アイヌ民族ともに(および周辺のトゥングース系諸民族も)自製していなかった品目である。

 

(16)木綿、綿(わた)

senkaki「木綿、木綿布」というアイヌ語北海道方言は、北方で隣接する諸民族において類似の単語がみられない。また、日本語からの借用語と思われる。アイヌ語サハリン方言のpousは明らかに北方系であり、満洲語bosoと同系統の語である。語形の近さからみておそらくニヴフ語からの借用が考えられる。また、「サンタンことば」として「木綿」を意味する「ボウシ、ホトシ、ボーシ、ブシュ」などの単語が採録されている。あるいは交易に来ていた「サンタン商人」から直接借用したのかもしれない。

「綿(わた)」を意味するニヴフ語joχan, ウイルタ語juxaなどの類似語彙に関しては、池上二良(1988)が日本語の古語「ゆう」を含めて指摘している。アイヌ語はwataであるが、新しい借用語なのかもしれない。現在のサハリン地域のロシア語でもvataはよく用いられる語である。

 

(5)茶

ニヴフ語、ウイルタ語で「茶」はcaiであり、アイヌ語サハリン方言でもcaiという単語が記録されている。

これらは近代になってロシア人と接触して以降盛んに用いられるようになった語である、と一般的には理解されている。しかし、それ以前からも使われていた可能性がある。その推定の根拠としては

 

ニヴフ語では「お茶」を指す固有語はない。

ロシア人との接触以前に「お茶代わりに飲んでいたものがある」という証言はある。

それらの名称について「caiである」という証言がいくつかある。

満洲語でもcaiである。

 

などがあげられる。しかし、現在のところ聞き取り調査からは、ロシア人との接触以前に清帝国由来の「茶」が用いられていたかどうか情報は得られていない。

 

(7)酒

酒はニヴフ、ウイルタ民族は自製していなかった。ニヴフ人はベリーを完全に熟してから収穫し、その果汁を白樺樹皮容器に長期保存していた。この果汁は大いに好まれていた。ひょっとしたら部分的に発酵していたのではないだろうか。干魚に関してはpondalk ma「発酵させた・干魚」というカビあるいは発酵(地域差があるらしい)を利用した食品が作られていた。ニヴフ文化に発酵という要素が皆無だったわけではない。とはいえ、より南方からもたらされるアルコール度の強い飲料を指すニヴフ語araq,、ウイルタ語arakki、アイヌ語サハリン方言arakkeなどは満洲語arkiがサンタン交易を介して広まったものであろう。ロシア人もつい最近まで「arak」という単語を盛んに用いていたらしい。ニヴフ語形araqは確かに一致する。しかしウイルタ語arakkiの語尾は満洲語と同様に母音iを有する。したがって、ロシア人到来以前からこの語は通用していたと思われる。とすれば、ロシア人がウォッカを大量に持ち込む以前から、サンタン交易によって酒が入手できたと考えられる。

 

北海道のアイヌ民族はいわゆる「どぶろく」を自製していたが、その原料は和人(いわゆる日本民族)から交易によって入手した米が主なものであった。したがって、やはり古くは自製していなかった可能性が高い。また、「どぶろく」を指す単語tonotoはtono「和人の殿・の乳」という語源解釈からもウォッカなどの蒸留酒を指しにくいのではないかと思われる。実際、サハリンにおいてはarakkeとtonotoが使い分けられていた可能性が高い。

 

とすれば、アムール・サハリン地域において、ウォッカ以前の酒はやはり「どぶろく」とは異なっていただろう。どの程度のアルコール度数のものであったのかはよくわからない(現在の高齢者は「ロシア製のウォッカである」との認識である)。

 

(28)タバコ

タバコは日本だけでなく中国東北地方も盛んに栽培されていた。北海道アイヌ文化における喫煙は、日本のキセルとほとんど同じ方法である。用具もkiseriと呼ばれていることからも日本の影響が強いことが推測できる。しかし、肝心のアイヌ語tanpaku「タバコ」は日本語tabakoだけでなく、満洲語danbakuにも非常によく似た語形である。従来は日本語からの借用語だと漠然と考えられてきた。知里真志保はアイヌ語tampakuと日本語tabakoの末尾母音の違いの説明の必要に気づいており、ku『飲む』に引きずられたと解釈した。(ただし、b>mpという変化は規則的である。また借用元となる東北方言でもすでにtambakoという語形だったと思われる)。ニヴフ語tamχ、ウイルタ語saŋnaともにアイヌ語tanpakuの借用元とは考えにくい(トゥングース諸語で満洲語が最も近似する)。「サンタンことば」でもタバコはタムベ、ダムヘであり、ニヴフ語とは類似を示すが、アイヌ語とは似ない。同じような例としては、ニヴフ語cafq、アイヌ語サハリン方言sahka、ウイルタ語saboo、満洲語sabka「箸」などがある。つまり、ニヴフ語・ウイルタ語を通り越してアイヌ語と満洲語とが近似を示す。

ニヴフ語tai「キセル」は直接は「サンタンことば」taiから借用した可能性が高い。アイヌ語は複数の固有語を持つ(itoseni, nikiseri, otop, serempoなど)。キセルにタバコを詰める道具、キセルの吸い口、キセルの胴「ラオ」の呼称はニヴフ語とウイルタ語でおそらく借用関係にあるだろうが、その方向については分からない。(1)ニヴフ語momok, momofは動詞momo-「吸う」からの派生と考えられるので、ニヴフ語がもとかもしれない。

(2)ニヴフ語tmamとウイルタ語tumaは、ともにアイヌ語tumam「胴」からの借用かもしれない(アイヌ語にはラオを示す特別の単語は記録されていない)。

 

2-2. イヌ橇および関連要素

(1)犬橇の牽き綱、(34)犬橇全体、(8)滑子、(9)制御棒、(14)犬の装具、(15)よりもどし

 

2-2-1. イヌ橇関連語彙一覧

イヌ橇はアイヌ、ニヴフ、ウイルタに共通する文化要素であるが、特にニヴフ文化において発達している。ウイルタ文化においては橇の牽引にはトナカイが重要であり、アイヌ文化においては、大人口を抱える北海道に存在しない。イヌ橇文化においては、イヌへの掛け声、制御棒の呼称、首輪の呼称などイヌの制御に関するものを中心に共通語彙がみられる。なおイヌそのものの呼称は共通ではない。当然ながらイヌに関する知識それ自体はイヌ橇に先行するためであろう。そのためか「先導犬」を指す語彙も異なる。

 

言語

右へ

左へ

直進せよ

止まれ

アイヌ語

kae kae

 

toto

pera pera

ニヴフ語

kʰai

tʰəi/toi

tatata/tototo

tor/porʰ

ウイルタ語

kai kai

 

too too

puree puree

クレイノヴィチ(北方民博紀要第13号2004)より

 

言語

制御棒

首輪

滑子

先導犬

よりもどし

犬繋棒

アイヌ語

kaure

hana

mohrasi

ukoisaotseta

mahru

setakohni

ニヴフ語

kʰauri

xal

motas

nuɣid

maxt

ikurʰ

ウイルタ語

kaurii

xala

muttasi

nauramǰi

makčii

ikkuči

参考:オロチ語

kauri

 

 

 

maxrim

 

先導犬はバチェラー(1938)より。参考に付したオロチ語はタクサミ(1975)より。以下の表も同じ

 

2-2-2.アイヌ語nusoの起源

アイヌ語のnuso あるいはnuhsu「イヌ橇」については、知里真志保がニヴフ語tʰuからの借用語説を採っている。アイヌ語nusoをnu-soと分析し、nu-をニヴフ語tʰu「イヌ橇」からの借用と考えたものである。アイヌ語nusoもニヴフ語tʰuもイヌと橇をまとめた呼称であり、そこに共通性を見出した説といえる。しかし、前半部のnu<tʰuという借用を想定すると、ほかには見られない音変化n<tʰuを説明しなくてはならないが、これは困難である。

 

ニヴフ語にはnucというイヌ橇の部分名称が存在する。クレイノヴィチはnuxcという語形で採録している。これは狭義にはイヌの牽き綱を、広義には木で組まれた橇以外の部分、すなわちイヌとイヌの牽き綱をあわせたものを指す(アイヌ語にはこれに対応するまとまりを意味する単語はないようである)。ポロナイスク方言ではそれで橇全体を指すこともある。なお、池上二良(1997)によればウイルタ語にはイヌと橇をあわせたもの(すなわちアイヌ語nuso、ニヴフ語tʰuに対応する)を指すpuktuという語がある。

 

言語

イヌ

牽き

アイヌ語

seta

nuso-tus

sikeni

nuso/nuhsu

ニヴフ語

qanŋ

nuc/nuxc

tʰu

nuc

tʰu

tʰu(ノグリキ)、nuc(ポロナイスク)

ウイルタ語

ŋinda

nusku

tuči

puktu

イヌ橇の名称

 

ノグリキ、チルウンヴドではイヌ橇全体を指す呼称としてはtʰuを用い、nucは用いない。ポロナイスクではnucを用いるといい、これは高橋盛孝の語彙集からも伺える。アイヌ語が接していた地域はおそらくポロナイスク方言に近い言語が話されていたはずである。従ってアイヌ語がニヴフ語から「橇」の総称を借用したとすれば、tʰuではなくnucあるいはnuxcのほうだったろう。また、だとすれば意味が限定されるという借用語の一般的傾向にも合致している。ニヴフ語においては「牽き具」「イヌ橇」の両者を指すのに対し、アイヌ語では後者のみを指すからである。あるいは、アイヌ語においても古くはnusoが牽き綱のみを意味していた可能性もある。「牽き綱」をsikeni-tusではなく、nuso-tusと呼ぶのはその名残かもしれない。。なお、ウイルタ語から借用した可能性もあるが、その場合、意味の変化と音韻転倒の両方を説明しなくてはならない。ウイルタ語ではnuskuは「牽き綱」であり「イヌ橇全体」はpuktuである。音韻転倒に関しては、ウイルタ語のnuskuを借用した後nusku>*nuksu>nuhsu、となったのか、あるいはともに共通の*nuksu>を仮定すべきなのか、という問題が残る。ウイルタ語においては、しばしば他のトゥングース諸語に比べて音韻転倒がみられるようだが、nuskuに関してはウリチ語と同語形である。

 

2-2-3 周辺諸民族における名称

この、ニヴフ語tʰu, nucに類似したイヌ橇の名称はアムール下流域に広がっているようである。

 

言語

アイヌ

ニヴフ

ウイルタ

オロチ

ウリチ

ウデヘ

ナーナイ

nuso, nuhsu

tʰu, nuc

tuči

tukki

nusku

tuxi

toki

牽き綱

 

nuc

nusku

puksu

 

 

 

 

ウリチ、ウデヘ、ナーナイの橇の詳細は不明だが、tʰu, nucに類似した2系統の名称があることがわかる。前述したように、アイヌ語nuso, nuhsuはtʰu系ではなくnuc系の単語と考えることができる。またウイルタ語puktuは例外的である。これに関しては、タクサミ(1975)ではニヴフ語puks「皮ヒモ」とオロチ語puksu「皮ヒモ」を共通語彙とみなしているのが示唆的である。ウイルタ語puktu「イヌ橇全体」はこちらの系列に入る可能性がある。ニヴフ語ではpuks(アムール方言)あるいはpukrʰ(サハリン方言)は皮ヒモの総称であり、nucはイヌ橇の牽き具のことである。意味が限定されるという借用語の一般的な傾向からは、ニヴフ語からウイルタ・オロチ語へ、という借用方向が推定できる。だとすれば、アムール地方ではニヴフ語の語尾-sがオロチ語-suとなり、サハリンでは語尾-rʰ/-rがウイルタ語-tuとして借用されたのかもしれない。しかし、ニヴフ語ではpuks(アムール方言)pukrʰ/pukr(サハリン方言)はいずれも牽き綱のことであって、イヌ橇全体を意味しない。これについては今後の調査に待ちたい。なお、ウイルタ語ではトナカイ橇はoksoであり、共通の語基を持たない。

 

2-2-4.イヌ橇の部分名称

(8)滑子、(9)制御棒、(15)よりもどし

イヌの牽き綱が絡まりあわないようにする「よりもどし」、そり部の裏につけて滑りをよくする「滑子」、ブレーキをかけるための「制御棒」はアイヌ、ニヴフ、ウイルタで類似語彙が用いられている。制御棒はほとんど同じ語形であるが、借用の方向は分からない。タクサミ(1975)はオロチ語kauriの存在を指摘している。「滑子」「よりもどし」はニヴフ語のみが子音語尾となっており、一音節分短い。ニヴフ語maxht、アイヌ語mahru「よりもどし」、ニヴフ語motas、アイヌ語mohrasi「滑子」に見られるtとrの子音は対応しており、ほかにもニヴフ語mut、アイヌ語muhru「枕」などの例がある。

 

2-2-5 ニヴフ語maxht「糸車(スピンドル)」について

ニヴフ語maxhtは「よりもどし」のほかに、糸つむぎに用いる「糸車(スピンドル)」を意味する。両者は回転するところが共通しており、転用であろう。ただし、どちらから転用されたものか分からない。アイヌ文化においては「糸車(スピンドル)」の実物がサハリンおよび北海道の網走地方で採集されているが、名称は不明である。「糸車(スピンドル)」は、サハリンで用いられたイラクサ繊維を紡げるが、北海道で盛んに用いられたオヒョウニレ繊維には不向きである。網走はイラクサが多く自生しており、またかつてのオホーツク文化圏地域である。今後の調査を待ちたいが、アイヌ文化の「糸車(スピンドル)」についてはニヴフ文化の影響という可能性を考慮すべきであろう。

 

2-2-6 ウイルタ語の-či/-čiiについて

ニヴフ語ikurʰ, ウイルタ語ikkuči「犬繋棒」、ニヴフ語maxt、アイヌ語mahru, ウイルタ語makčii「よりもどし」、ニヴフ語tʰu, ウイルタ語tʰuči「橇」のように、ウイルタ語が-čiiという語尾をもつ例が目に付くが、対応が明確ではない。これらはウイルタ語内部の傾向なのかもしれない。

 

2-2-7 アイヌのsuto, sutu

アイヌのイヌ橇では操縦者が短いスキーを履いたまま座るが、これは周辺諸民族では見られない特徴である。スキー自体は北海道アイヌ文化には見られず、サハリン独特のアイヌ文化であり、おそらくニヴフあるいはウイルタ文化の影響と推測し得るが、その呼称は共通していない。アイヌ語の名称suto(あるいはsutu)はおそらくsuh, sutu「棒」であり、その形状から転用された語彙である。それに対し、ニヴフ語やトゥングース諸民族では専用の語彙を持つ。

 

2-3.自製品。サハリンアイヌが北方から影響を受けたと考えられる諸要素

 

(26)太鼓、(32)白樺樹皮製皿、(21)枕、(35)幼児のおくるみ、 (40)ひげ根、(27)アザラシ用銛1、(76)銛の方向制御版、(24)仕掛弓(juru)、 (57)罠の部品(馬の毛)、(91)アザラシ用銛先1、(23)矢、弾丸、(43)金属口琴、(89)口琴、(29)一弦琴、(4)煮凝り料理

これらは交易によるかどうかわからないが、北方との共通要素である。北海道アイヌにないため、おそらくサハリンで借用したものであろう。

 

(26)太鼓

北海道アイヌ文化のtusu「巫術」は、その世界観はともかく、用いる道具から見るとあまり典型的なシャマニズムではない。隣接するニヴフやトゥングース諸民族、カムチャトカの諸民族とは相違がある。(1)片面太鼓を用いない。(2)木偶を用いない。(3)金帯を用いない。(4)病気治療のための道具に差異がある。しかし、サハリンアイヌ文化のtusuでは、太鼓が用いられる。また、鉢巻を用いた病気の治療など、周囲と類似がみられる。なお、木偶、金帯がシャマン用ではないが存在する(たんなる護符や装身具である)ところは、北海道とアムール地域の中間的性格を表しているといえる。なお、サハリンからアムールにかけての太鼓と丸太叩き楽器は、ともに単なる楽器ではなく、前者は巫術者の儀礼(病気治療など)に、後者は共同体の儀礼(熊祭、葬儀など)に関わる。この両方を北海道アイヌ文化は欠いている。

 

(23)白樺樹皮製皿、(21)枕、(35)幼児のおくるみ

サハリンのアイヌ文化では白樺樹皮細工の比重が北海道よりも大きい。たとえば北海道方言でsaranipは編んだ袋を指すが、サハリンでは白樺樹皮製の容器のひとつである。それ以外にもニヴフ文化にみられる浅底の白樺樹皮製皿haŋrʰをそのままhankataとして受容している。haŋrʰの語末-rʰは名詞語尾と考えられるので、ニヴフ語からアイヌ語に借用されたと推定しうる。ニヴフ語の[r]がアイヌ語に借用される際に[t]になるようである。それに対し、例えばニヴフ語mut、アイヌ語muhruは逆になっている。この語の場合、北海道方言にmukruという語形が存在するので、同語源の語だとしても、逆にニヴフ語がアイヌ語から借用したのであろう。そしてその際にニヴフ語の好む単音節語に縮約されたのであろう。アイヌ語muksit「poultice巴布」(バチェラー)とニヴフ語muks「赤ちゃんのおくるみ」もアイヌ語からニヴフ語への借用なのかも知れず、だとすればやはり語末が脱落したものであろう。

 

(40)ひげ根

白樺樹皮細工などにはヤナギの皮や細いひげ根が用いられた。この根はニヴフ語でmirʰləxと呼ばれるが、アイヌ語mecirohはやはりその借用であろう。知里真志保(1953)がすでに借用語ではないかと推定している。

 

(57)罠の部品(馬の毛)

山や海における狩猟用具にも共通語彙がわずかだがみられる。サハリン・アムール地域で高度に発達した自動弓の名称・部分名称にはほとんど共通語彙がない。固有語による呼称のほうが有効だったのかもしれない。テン用の罠で、要となる馬の尾に関してはニヴフ語potə「ひも」とウイルタ語puta「ひも」、満洲語「縄、綱」は同語源かもしれない。しかしこれはそもそも単に「ひも」を表す単語が同語源なだけで、罠の部分名称が借用されたものではなかろう。

 

(24)仕掛弓(juru)

自動弓の弓部分をニヴフ語jur、アイヌ語juuruと呼ぶのは共通している。この呼称は北海道ではみられないようである。とするとこれもサハリン的な要素なのかもしれない。

 

(27)アザラシ用銛1、(76)銛の方向制御版、 (91)アザラシ用銛先1kite、(23)矢、弾丸

アザラシ用銛全体をニヴフ語tla/klaというが、アイヌ語tunaはその借用と考えられる。tla>tunaはほかにもtlaŋi>tunahkay「トナカイ」の例がある。しかし部分名称は全て固有語らしい。ロシアの文化人類学者の多くは、ニヴフ語のkʰu「矢」とアイヌ語ku「弓」を比較しているが、少々無理があるようにも思われる。トゥングース諸語でもləkkəなどであり、この地域では弓矢の名称は完全には一致しないと考えるべきであろう。むしろ、タクサミが指摘しているように、アイヌ語kite「銛先」、ニヴフ語kitən「チョウザメ用銛先」とウイルタ語・満洲語gida「槍先」が同語源の可能性があるだろう。サハリン・アムール地域は漁労への依存度が高い。また、儀礼的な側面からは熊猟が非常に重要視されるが、その際に用いられていた伝統的な用具は槍であった。

 

(43)(89)口琴、(29)一弦琴

楽器の名称はおそらく北方からの影響だが、錯綜している。直川(2005)によれば、アムール周辺地域の口琴の名称には2系統あるが、アイヌ語には一系統しか入っていない。

ニヴフ語においては、アムール方言地域とサハリン方言地域でずれがみられる。サハリンではおそらくqoŋɢoŋは草のことであり、また、草口琴のことだった。金属口琴が流入すると草口琴の名を用いてそれを呼ぶようになった。一方、アムール方言地域ではウリチ語のkuŋgaaなどに近い名称qanɢaが用いられるようになり、qoŋɢoŋは草の名に残ったのであろう。

弦楽器はおそらく満洲民族からトゥングース諸民族(ナーナイ、ウリチなど)に広まったのであろう。名称はさまざまだが、古くから指摘されているようにニヴフ語təŋrəŋやアイヌ語tonkoriは満洲語からの借用と思われる。サハリンのニヴフ人təŋrəŋ奏者の多くは西海岸系統である。両方言で同じ語を用いていることからも、本来はアムール方言地域のものだったのではないだろうか。つまりサハリン方言地域には、少なくとも今のtəŋrəŋはなかった可能性が高い。したがって、現在のtəŋrəŋはアイヌのtonkoriとは直接つながらないのではないだろうか。この地域には何度か弦楽器の波及する流行のようなものがあったと考えられる。

 

(4)mos

この語はトゥングース語圏を超えて広く分布しており、地域によって多少異なったものを指すらしいが、サハリンにおいては、完全に同じものを指す。魚皮を煮て作るゼラチンを固めた料理である。北海道アイヌ文化にみられないところから、サハリンアイヌ文化が北方から影響を受けたものと考えられる。

 

2-4.自製品のうちで、ニヴフ語とアイヌ語が特徴的な音対応を持つもの

 

(22)(49)ゆりかご2・1、(19)外套、(42)長衣、(72)長脚絆、(20)帽子

 

ニヴフ語とアイヌ語の間で、一部の語にqと-hkaが特徴的な対応を示す。ニヴフ語caq、アイヌ語cahka「木を刳り抜いて作ったゆりかご」、ニヴフ語oq、アイヌ語ohko「外套、上着」、ニヴフ語haq、アイヌ語hahka「帽子」である。これらはウイルタ語には借用されていないようである。

 

2-4-1. ニヴフ語の音声的特徴と過去の文字資料

ポロナイスク方言の筆記資料ではそもそもcakka, hakkaなどと表記されるケースがある。これはニヴフ語の発音を反映している可能性がある。ニヴフ語の[q]は直前の子音を若干口蓋化する傾向がある。同時に無音時間が延長される。そのためか、日本語話者からは[k]の二重子音として認識されることがある。また、音韻的には閉鎖子音と考えるべきだが、直後に母音/a/を伴って発声されることがあるため、-kkaと表記されるのであろう。この音声的特徴は、アイヌ語話者、ウイルタ語話者がニヴフ語を聞いた際にも感ぜられたであろう。

 

2-4-2. ウイルタ語経由の可能性

ウイルタ語においては、閉音節をなす子音に制限がある。そのためこれらの語が借用されたとすると前記特徴とあいまって、母音が付加される可能性が高い。現在のウイルタ語では資料が残されていないが、かつてこれらの語がウイルタ語を経由してアイヌ語へ借用された可能性はある。

 

2-4-3. アイヌ語からニヴフ語へ借用された可能性

ニヴフ語では[k],[q]が区別される。アイヌ語にこの区別はない。また、アイヌ語サハリン方言では二重子音[-kk-]は許されず、[-hk-]で実現する。つまりアイヌ語からニヴフ語に借用されたとすれば、ニヴフ語で予想される語形はhahkaあるいはhahkである。ニヴフ語の音節構造により、語末母音は脱落する可能性があるが、中間のhが脱落することは考えにくい。したがってニヴフ語からアイヌ語に借用された可能性が高い。アイヌ語への借用は先に述べたニヴフ語の音声的特徴とも矛盾しない。

 

2-4-4. 文化的側面

caqに関しては満洲語ceku「ブランコ」が同源とすると、北海道にないという分布からみても、アムールからサハリンへ広がった語と考えられる。なお、同じゆりかごでも、形状の異なる小型のニヴフ語turʰ, ウイルタ語duri、満洲語duriは逆にアイヌ語には借用されていない。また、大型のもの(ウイルタ語əmuə)はトゥングース諸民族にひろがっているが、こちらはアイヌ文化にもとからあるsintaと競合するために受容されなかったのかもしれない。

 

2-4-5.ウイルタ語からニヴフ語への借用

衣服やゆりかごなど「身に付けるもの」には、ほかにも借用語と思われる例がある。ニヴフ語huχtuはウイルタ語のxɵktɵと同語源であろう。この語は広くトゥングース諸語にあり、「サンタンことば」にも見られるので、直接の借用関係は不明である。子音χに関しては、閉鎖音連続うニヴフ語の特徴的な摩擦音化である。これは他の借用語にもみられる。ニヴフ衣服huχtuの下にはpanj「長脚袢」を着用しなくてはならないが、おそらくこれも同時に借用したものであろう。とするとウイルタ語のpəruuと同起源かもしれない。ただし、ニヴフ語の[ɲ]とウイルタ語の[r]が対応している例はないので、別に借用先がある可能性が高い。

 

2-5.自製品で北方に広がる共通語彙だが、借用方向がわからないもの。

 

(12)魚干し台、(10)手袋、(33)テント、(37)帆、(25)トド

 

 一部の共通語彙は、借用方向がよくわからない。おそらくかなり古い借用語と思われる。

 

(12)魚干し台

ニヴフ語caŋ、ウイルタ語saan「魚干し台」も古くから指摘されてきた共通語彙である。池上二良(1994)はアイヌ語san「幣棚」を同語源ではないかと推定している。ニヴフ語の名詞語頭子音は原則として閉鎖音(破擦音含む)であるため、古い借用語san, saanの語頭が変化したのかもしれない。地名においてはsai>caiなどの変化が例としてあげられる。

 

(10)手袋

ミトン型手袋を指すニヴフ語vamq、ウイルタ語wambakka, mambakka、アイヌ語wampakkaでは、ウイルタ語とアイヌ語が強い類似を示す。アイヌ語でこの語が用いられるのはサハリン西海岸のみであり、東海岸ではmatumereという別の語が用いられている(北海道にはこのタイプの手袋は存在しない)。西海岸はウイルタ人の伝統的な居住地域ではないが、西海岸のアイヌ人は古くから東海岸と往来があった。もっともありそうなのは、西海岸のサハリンアイヌ文化がウイルタ文化からこの語を物ごと借用した、ということである。ニヴフ語とウイルタ語の間の借用方向は推定が困難である。ただ、アムール方言でもvamqであり、予想されるvəmqではないことからみるとニヴフ語が借用した可能性が高い。また、隣接するウリチ語にvagbangiという、同系統と思われる語があり、語中にb音が現れることからは、ウイルタ語のほうが古形に近いとも考えられる。

 

(33)テント、(37)帆

ニヴフ語では魚皮をmac、それをつなげて作った魚皮布をqai、あるいはmatʁai(<mac+qai)と呼ぶ。また帆をqaiというが、帆は古くは魚皮で作られていた。この帆とオールを組み合わせて作る仮のテントをqaiあるいはqairaf「帆の・家」と呼ぶ。ただし魚皮衣の呼称にはqaiの語を用いず、全く別の単語vəskərと呼んでいる。

アイヌ語kayaは「魚皮衣」と「帆」を意味する。バチラー(1938)には「Kaya, カヤ, 魚ノ皮デ作ラレタ衣類. n. A fish-skin garment. It is said that the northern Ainu borrowed the custom of making such garments from the tribes of the Amur river. and gave them the name kaya, “ sail ” because formerly sails were made of fish skins. 」とある。この語kaya「帆」は他の多くの共通語彙とちがって北海道方言にも見られる。

この意味のずれからは借用方向を推定するのは困難であるが、ニヴフ語アムール方言形はkəiであるため、両方言の分岐以前からニヴフ語に存在する語と考えられる。

もしも、アイヌ語<ニヴフ語であるなら、日本式の帆走技術が伝わる以前の借用という可能性が高い。北海道方言では「魚皮」の意は薄れ、たんに「帆」を示す単語になっている。もしも北海道において、先に日本から植物繊維布による帆が伝わっていたとすれば、「帆」を表す一般名称はkayaではなく、日本語からの借用語になっていたであろう。逆に借用方向が逆にニヴフ語<アイヌ語であるなら、前述の通りニヴフ語2大方言の分岐以前の借用ということになる。

 

(25)トド

日本語「トド(海馬)」がアイヌ語tonto「なめした皮」からの借用といわれる。アイヌ語ではtonto「毛の無いなめし皮」を転用して、トドを指す。また、動物であればトドに限らず毛の無い個体に用いるという。ニヴフ語ではトドをtəŋと呼ぶ。トドはアイヌ民族居住域に多く、借用であればニヴフ語がアイヌ語から借用した可能性が高いであろう。ニヴフ語がtontoの後ろ半分を脱落させたのかもしれない。

 

2-6.借用語の可能性があるもの

 

 (36)屋外の食料台、(38)梯子、(39)鐘、(30)箱、(41)砥石、 (31)罠の一種

 

上記以外にも、語形の類似を示す語彙がいくつかある。偶然の一致を排除するのは困難だが、借用の可能性を検討する。

 

(36)屋外の食料台

知里真志保・山本祐弘(1970)はupun「冬季用倉」の語源をupun「雪溜り」に求めている。一般的にはupunは「吹雪」のことである。「雪溜り、吹き溜まり」の意味は他の資料からは確認できない。知里真志保・山本祐弘(1970)によるとupunは「地上、円形に周囲から丸太、樹幹などを円堆状に寄せかけ、上部に草とか土を覆い中空にしたもので、内部に一時的な食料を貯蔵する簡便なものである」という。ニヴフ語uvŋは冬期、凍魚などを冷凍保存するための台を意味する。これは屋根や壁を持たない単なる台で、クマやイヌ、キツネなどへの対策である。実物は確認できなかったが、四本柱に床板が乗っただけのものらしい。若干構造は異なると思われるが、冬季の食料保存という用途はupunと同じである。用途の共通性からみると借用語なのかもしれない。このアイヌ語が報告されているのは東海岸ニイトイの事例であり、アイヌ民族の居住地域としては北部である。隣接するのはニヴフ語ポロナイスク方言である。この方言では鼻音の前のvがbと発音される傾向が強い。ノグリキ方言のuvŋに対応するポロナイスク方言形は/ubŋ~upŋ/である。アイヌ語は音節末二重子音を許さないのでpの後に母音を挿入したのであろう。ただし、アクセントが一致しない。アイヌ語サハリン方言がもとのアクセントを保存していたなら、uupunとなったであろう。ひょっとすると逆にアイヌ語からニヴフ語が借用したのかもしれない。

 

(38)梯子

ニヴフ語、アイヌ語ともに、高床式家屋に登るために丸太に刻み目をつけたものを呼ぶ。いわゆる「梯子」ではない。アイヌ語サハリン方言にはほかにsanriという語もある。こんな基本的な語彙が借用されるか疑わしいが、語形だけからみればアイヌ語からニヴフ語への借用の可能性はある。アイヌ語nikarはアクセントが第2音節にあるが、語頭アクセントのニヴフ語ではアクセントのない第1母音は脱落しやすいであろう。

ニヴフ語は閉鎖子音の連続を許さないので、第2子音kは摩擦音化してx~χとなる。なおノグリキ方言形ɲʁarʰに対応するポロナイスク方言形は*ɲχarである。

 

(39)鐘

kolŋɢolŋ, konkoは語形は非常に似ているが、ひょっとしたら擬音語起源の偶然の一致かもしれない。しかし、アイヌ語北海道方言では「鈴」etor, cirpoなど別の語なので、分布からみて借用ではなかろうか。池上(1994)ではトゥングース諸語、モンゴル語文語などと比較して、大陸からアイヌ語北海道方言まで入った借用語とみなしている。

 

(30)箱

西鶴(1932)には容器の名称としてアイヌ語サハリン方言「ウオカイ」があげられている。これは北海道方言にみられず、しかもサハリン方言としても他に資料がない。非常に局地的に採録された単語だったのではないだろうか。ニヴフ語vaqiは「箱」を意味する一般称で、それぞれの容器には個別の名称がある。したがって、むしろ借用されにくい単語と考えられる。しかし、ポロナイスク方言形の発音は/waqqəi/であり、アイヌ語uokaiに近い。

 

(41)砥石

ニヴフ語の後半部baχは「石」のことであり、rʰu-は動詞語幹と思われる。アイヌ語ruyはそれ以上分解できない語基で「砥石」を指す。単音節なので偶然の一致と借用の区別は困難だが、ニヴフ語アムール方言ではpʰeʁrʰ cʰafという別の語が採録されており、地理的に隣接しているとだけはいえる。

 

(31)罠の一種

貂を捕るための罠は、ニヴフ民族、サハリンのアイヌ民族ともに全く同じ形式のものを使用していた。そもそも貂は本来あまり実用性のない狩猟獣だったとされる。清帝国への輸出品としてサハリンでも捕獲されるようになったのであり、そのための狩猟ノウハウも同時に伝播したと思われる(註。ニヴフ民族、アイヌ民族ともに狩猟のための土地所有という概念は本来なかったが、クロテン捕獲用の川の所有権だけはあったようである。)。したがって借用語なのかもしれない。借用方向としては清帝国との位置関係からみて、まずニヴフ語からアイヌ語ということが考えられる。しかしニヴフ語の子音はhであり、xではない。つまりアイヌ語ではおそらくhで借用するはずである。そうなっていないということは、やはりアイヌ語kaは「ヒモ」という意味の普通名詞の転用であって、借用があるとすればアイヌ語からニヴフ語へだったと思われる。その際、χa「名前」と紛らわしいので語頭子音が変化したのかもしれない。

 

2-7. アイヌ語sintoko「樽」

 

(17)樽

 

ニヴフ語sinduχ「樽」、アイヌ語sintoko「樽、行器」については、すでに高橋盛孝が指摘し、池上(1973)(1980)がウイルタ語sittoo「(日本の)樽」との関連を論じている。高橋はニヴフ語sinduχをアイヌ語からの借用と考えた。池上はsittoo(対格形 sittokkoo)はアイヌ語からの借用と結論している。また、高橋の事例がアイヌ人シャマンに関するものだという点にも着目している。ただし池上(1997)にはsiltukku(対格形siltukkoo)「たらい」という、sintokoにより近い語形も収録されている。語形だけをみると、siltukkuとsintokoでは借用方向は簡単には決められなさそうである。

 

2-7-1 ニヴフ文化におけるsinduχ

ニヴフ文化においては、少なくともサハリン地域ではsinduχ「樽」はよくみられたものらしい。存在が確認できるのは必ずしもアイヌ民族との隣接地域ばかりではない。

 

ポロナイスクの事例

第二次世界大戦以前のポロナイスクで撮影された魚干し台の写真には、木製と思われる樽が写っている。

 

チルウンヴドの事例

siduχという容器が用いられていた。外来の樽、あるいは木を刳り抜いて自製した高さ数十センチの容器。魚や魚卵の保存用。

 

ノグリキの事例

第二次世界大戦終了以前に流通していた、フタ以外の全体が竹で作られた日本製の樽。一斗樽よりひとまわり大きいらしい。アザラシ油にハマナスの実を漬け込むために用いられた。重宝され、良質なイヌ一匹と交換された。戦後は入手できなくなった。

 

樽ではないsinduχ

魚や魚卵を保存する際、容器を用いず、地面に掘った穴に埋める方法がある。これをsinduχ~siduχと呼ぶ。一部の話者はこの事実から語源を動詞si-「置く」と考えている。

 

2-7-2.sinduχ、sintokoの外来性

ニヴフのsinduχ「樽」は民具としてはあまり知られておらず、博物館にも収蔵されていない。少なくともニヴフ、ウイルタ文化の「樽」は実物を確認できなかった。ひょっとすると固有の文化ではない、自製品ではない、ということで無視されているのかもしれない。これはアイヌ文化におけるsintokoとよく似ている。sintokoもやはり基本的には外来の樽、行器(ほかい)を指す。

sintokoはアイヌ語の(分解できない)単語としては長く、借用が疑われる。古くから日本語起源説が唱えられているようである。しかし、実際のところ、日本語でそれらしい単語は見つからない。アイヌ語sintokoの借用元としては、*sidokoというような語形が想定される。シトコガ(四斗樽)という語はあるが、コガはすでにkonkaという語形でアイヌ語に借用されており、むしろsitokonkaとなるであろう。

アイヌ語で「樽」を指す語にはsintoko以外に、日本語からの借用語ontaro(北海道方言), ontoro(サハリン方言)がある。こちらのほうが狭義らしい。ontaro「樽」はsintokoの一種であり、ontarosintoko(北海道)「樽シントコ」という語がある。これはおそらく行器と区別するための呼称であろう。したがって、日本製の樽がアイヌ語とともに入ってきたならば、sintokoよりもむしろontoroが借用されるほうが自然である。

おそらくアイヌ語サハリン方言において、ontoro「樽」は比較的新しい借用語であり、それ以前はsintokoと呼んでいた。ウイルタ語、ニヴフ語へ借用されたとしたらその時期だったのであろう。しかし、ニヴフ語の普通名詞は本来は語頭に摩擦音がたたない。古い借用語は語頭摩擦音が破擦音に変化している。cf. 満洲語sabka、ニヴフ語cʰafq「箸」。siduχはそれらより新しい借用語であろう。ただし、動詞si-と結びつける民間語源によって語頭摩擦音が保持された可能性もある。

 

2-7-3.大陸方面の類似語彙

ニヴフ文化のsinduχ、アイヌ文化のsintokoが外来要素という可能性があり、単語自体も借用だとすると、その借用元は南(日本)あるいは北(アムール地域)のどちらかであろう。先述したように、日本語にはそれらしき単語がない。アムール方面にも類似語彙はない。少なくとも管見した限り、トゥングース諸語・モンゴル語には見当たらない。しかし、さらに東に目を転じると、「長持」「箱」を意味する類似語彙がチュルク諸語やイラン諸語に散見される。 サハリンでは「樽」、中央アジアでは「長持」と指すものが異なるが、ともに外来の容器であることに注目したい(「樽」には道具や衣服を入れておくこともある)。

 

トルコ語sandIk「chest, coffer, box...」。

チュヴァシ語suntăx(сунтăх)「箱」(ロシア語ящик)。

キルギス語・タタール語sandәk(сандык)「長持」(ロシア語сундук)。

バシキール語handyk(hандык)「長持」(ロシア語сундук)。

ペルシア語sandûgh「トランク、(主に貴重品を入れる)飾箱、箱、籠」。

シュグナーン語sanduuk(сандӮк)「箱、長持」(ロシア語ящик、сундук)。

また、クルド諸語には他にも音価は不明だがsinduq「箱」という語形もあるらしい(注9)。

 

ニヴフ語のsinduχ、ウイルタ語のsildukku, sittooなどの、直接の借用先がアイヌ語だとしても、さらにその起源としては、北方ユーラシアに拡がっているsanduk系の借用語である可能性も視野に入れておきたい。Черных(1993)は14世紀のクマン語語彙集からラテン文字によるsunduq, synduqの両語形をあげているが、当時から語形の第一音節母音に揺れがみられることを示しているのであろう。今後新たなsintokoの類似語彙が報告される可能性もある。

 

2-8.アイヌ語起源の可能性があるもの

(3)木幣、(90)魚干し竿

 

inawについては、すでに池上二良(1980)が詳細に検討している。付け加えるなら、inawは何よりもアイヌ文化において発達している。ニヴフおよびトゥングース諸民族においては、原則として棒軸部をもたない「削りかけ」のみが用いられる。ウイルタ文化および南部のニヴフ文化においては、棒軸を持ったinawが用いられるが、分布からみてこれらはアイヌ文化からの影響であろう。さらに、ウイルタ、アイヌに共通するinawの一種にepuskiというものがある(ニヴフ語にはevrʰk「花」と言う語はあるが、これはinawではない)。これはアイヌ語で分析できるため、おそらくアイヌ語起源と考えられている。これらについて現在のポロナイスクでは新たな情報を得るのは困難と思われる。ウイルタ語sakiri「魚干し竿」に関しては池上(1990)はアイヌ語起源としている。itankiについてもやはり池上二良の諸論文がトゥングース諸言語との詳細な比較をしている。結論は保留しているものの、アイヌ語起源の可能性を否定はしていない。なお、ニヴフ語ではこの語は確認できていない。なお、アイヌ語urayは地名にもみられ、アイヌ語に古くから存在する語彙であると思われる。したがって借用方向は断定できないが、池上(1997)ではアイヌ語起源としている。

 

2-9.船舶関連語彙

 

(75)船首、(83)船着場、(18)サンパン船

 

船舶関連の語彙にはあまり共通性がない。部分名称としては「船首、へさき」を指すニヴフ語məxとウイルタ語məəxə、船着場を意味するニヴフ語muspi、ウイルタ語muspəがある。

 

2-9-1.船舶建造の状況

19世紀末から20世紀初頭にはウイルタ人が独自に船を作ることはなく、ニヴフ人から購入していたという証言がある。ニヴフ人の間でもトゥミ川河口近辺の海岸に住むニヴフ人は船を作らず、半完成品を上流から購入していた。これらの証言は文献でも確認できる。おそらくこれらの偏りは、船の建造技術の有無よりも材料となる大木が入手できるかどうかによっていたと思われる。東海岸においては丸木舟(刳り舟)しか用いられず、そのために必要な大木は海岸地方やトナカイ牧畜地域にはなかった。西海岸においては、ある時期に(おそらく西方言話者の大量移住とともに)板舟がもたらされている。

 

2-9-2.板舟について

船舶関連の語彙には共通語彙は少ない。しかし船のタイプには共通性があり、西海岸に板舟、東海岸には刳り舟が分布している。また、乗船する人数によって大きさが呼ばれているのも共通している。板舟は形状からみても共通のものであり、アムール川流域の系統のものである。刳り舟についても、イヌに引かせることや、櫂の取り付け方など、共通要素が多い。

 

言語

丸木船

板舟

舵(魯)

舳先

船尾

アイヌ語

cis

tontehka

assap,

honiwe

kanci

kaya

kaita

(北海道)

at

kirusi

ニヴフ語

mu

kalmərʰ mu

kikr

kaj

 

məx

 

ウイルタ語

 

 

 

 

 

kaita

məəxə

 

 

言語

ちょうな

アイヌ語

cis

panco

ニヴフ語

mu

pandʲu

ウイルタ語

ugda

pancu「斧」

 

現在のチルウンヴドでも、板舟は用いられているが、ノグリキではみられない。また名称もロシア語で「アムールカ」つまり「アムール式の舟」と呼ばれている。これは外来のしかもアムール地方のものである、との認識に基づくものであろう。板舟建造に欠かせない「板」を意味するウイルタ語kalamuriはニヴフ語kalmərʰからの借用らしい(池上(1990))。これはアムール方言でkəlmərʰという母音対応を見せているので、ニヴフ語に古くから存在する語である。

 

(18)サンパン船

板舟のうち、日本式の「サンパン船」を指すkunkasという語に関しては、現在のニヴフ語話者にはロシア語である、との認識が強くそれ以上の情報は得られなかった。西海岸のアイヌ文化における板舟tontehkaについては、金谷栄二郎・宇田川洋(1989)にまとめられている。

 

2-9-3.(2)まさかり

刳り舟建造に欠かせないのが、各種の手斧である。それらについては、シュレンクやクレイノヴィチらが注目してきた。Е.А.Крейнович(1973) によれば、これらは「石器時代」からほとんど同じ形状であるという。また、彼らの指摘するとおり手斧を指す単語kʰə(N)は他の諸言語に類似の語形がみあたらず、少なくとも近年の借用語ではない。しかし、比較的新しく日本語から借用された語もある。クレイノヴィチの指摘するpandjuはアイヌ語panco、ウイルタ語pancu「おの(斧)」とほとんど同じ語形である。このアイヌ語pancoはさらに日本語「番匠(ばんしょう)」からの借用だとされている。

 

3.アイヌ語に類似語彙がみられないもの

 

ニヴフ語とウイルタ語、満洲語などに共通の語彙でも、アイヌ語にみられないものがある。それらはアイヌ文化に伝わらなかったか、あるいは日本から類似のものが入手できたために、日本語からの借用語を用いていたものである。

 

3-1.アイヌに伝わらなかったもの

 

(45)蚊帳、(70)お金、(67)チェス

 

清帝国やロシアから物品ごと流入したと思われる語彙がある。jampaŋcχaはそれぞれ満洲語jampan, jihaと非常に近い語形である。特に「蚊帳」はウイルタ語dappaよりもニヴフ語のほうが満洲語jampanに近い。ニヴフ語はウイルタ語を介さずに借用したのであろう。

 

3-2.アイヌ民族が日本から入手していたと思われるもの

 

(55)糸、(50)紙、(56)鉄砲、(71)大砲、(62)小麦粉、(63)塩、(65)薬、(54)のこぎり、 (80)大匙、(64)砂糖、(78)鋏、(66)金、(69)銀、(77)真鍮

 

 

 

鉄砲

大砲

小麦粉

薬、火薬

のこぎり

ニヴフ語

kuvŋ

xaulus

meocŋ

pau

ofŋ

tafci

oxht

pʰuvŋ

アイヌ語

nuyto

kanpi

tehpo

poro tehpo

koo

sihpo

kusuri

noko

 

これらは「のこぎり」を除けばトゥングース諸語で広く共通しており、ニヴフ語も同系統の借用語を用いている。これらの物資の供給には清帝国が大きく関わっていたと思われる。しかしアイヌ民族は同じものを日本から入手していたため、日本語からの借用語を用いたのであろう。「鋸」を意味するニヴフ語pʰuvng、ウイルタ語puupuは他の言語に類似語彙が見えず、借用方向もわからない。ニヴフ語fuv-「鋸でひく」という他動詞があることから、古くからニヴフ語にある単語と思われる。

 

(2)まさかり、(80)大匙

清帝国に代わってロシア帝国の影響が強くなって以降は、ロシア語起源の借用語が増えたと考えられる。これらはほとんどアイヌ語には入ってきていない。toppo「まさかり」、qomp「大匙、ひしゃく」はニヴフ語、ウイルタ語に共通するが、アイヌ語にはないロシア語起源の借用語である。

 

(64)砂糖、(78)鋏

池上(1990)によるとウイルタ語satuは日本語からの借用語である。しかしニヴフ語の類似語彙seta,

setaŋはむしろ中国語起源の満洲語šatanと関係があると思われる。アイヌ語北海道方言にはsatoという借用語があるが、サハリン方言では広義のotoopenpe「あまいもの」しか確認できない。「鋏」を意味するニヴフ語haza, hazaŋ、ウイルタ語xaǰaは満洲語hasahaからの借用であろう。一方アイヌ語hasamiは明らかに日本語からの借用であろう。

 

(66)金, (69)銀, (77)真鍮などの金属名称

ニヴフ語の金属名称は基本的にはトゥングース諸語と共通している。おそらく借用語であろう。例えばaizngはアムール方言でもaisであり、サハリン方言から予想されるəisではないことにも留意したい。アイヌ語はkonkaaniなど日本語からの借用と思われる語を用いている。

 

(58)腰帯

金属装飾のついた腰帯はニヴフ、ウイルタ、アイヌ文化に共通する。しかし、名称はニヴフ語jaŋpaŋ        、ウイルタ語jaakpaに対して、アイヌ語だけはkaanikuhという固有表現を用いている。また、ニヴフ、ウイルタにおいてはシャマンの道具のひとつとも考えられるのに対して、アイヌ文化においてはシャマンと全く関係がない。アイヌ文化には伝わりはしたが、そのあり方が変わったということであろう。

 

3-3.ニヴフ語と満洲語などとの共通語彙

 

(81)窓、(82)ガラス、(48)ナイフ、(59)丸太の隙間に挟むコケ、(51)宝物

 

短すぎてはっきりしたことは分らないが、ひょっとしたらニヴフ語が満洲語から借用したらしいもの。アイヌ語にはみられない語彙である。

ニヴフ語pʰaχ「窓、ガラス」はひょっとしたらウイルタ語paawa、満洲語fa「窓」と関係があるかもしれない。ニヴフ語で「鉄」を意味するvatは近くに類似の語彙をもつ言語がなく、少なくとも最近の借用とは思われない。したがって鉄製ナイフ一般を意味する単語caqoも古くから存在していたという可能性が高い。強いていえば満洲語jokuu「」と語形が類似する。vaχ「コケ」、ウイルタ語「waxi」。コケはトナカイの餌として重要であり、ウイルタ語においては基本的な語彙であろう。ニヴフ語が借用した可能性がある。rʰaɣnt「宝物」は具体的に何を意味するのかよく分からない語である。一般に「物」を意味する語はaʁaʁrʰである。ニヴフ人が交易で入手していたものや重要な金属器もすべてaʁaʁrʰに含まれる。ニヴフ文化に外部からより高価なものがもたらされた時に、rʰaɣntという語が同時に借用された可能性を考えてみたい。同じく-nt/-ndを語尾にもつニヴフ語名詞は qand~qad「杖、スキーのストック」、pund~pud「弓」などいくつか存在する。もしもrʰaɣntの-ntが名詞化接尾辞のようなものだとすれば、前半部rʰaɣ-と語形が似たものにウイルタ語ǰakka、満洲語jaka「もの」がある。

 

3-4.ニヴフ語とウイルタ語の共通語彙

 

(61)木製容器、(52) 背負子

 

ニヴフ語とウイルタ語にのみ共通する語彙で、借用方向がよくわからないものがいくつかある。

ニヴフ語oχ「木製容器」、ウイルタ語oxuma「」はニヴフ語が短かすぎて偶然の一致という可能性も高いであろう。しかし、これらはニヴフ語mos、ウイルタ語musi「煮凝り料理」を作るものであり、その料理は単に美味であるだけでなくクマ祭など重要な儀式に欠かせないものである。「背負子」を意味するニヴフ語rəmŋ、ウイルタ語urəməも類似を示す。背負子はL字型をしており、白樺樹皮製容器を乗せて用いる。アイヌ文化のniesikeはtar「背負いヒモ」同様に額からかけるようになっている上、若干構造が異なる。おそらく独自に発達したものであろう。

 

2-3.トナカイ牧畜文化との関連が疑われるもの

 

(47)道具入れ、(46)トナカイ皮製容器、(60)樹皮製小屋

 

ウイルタ民族のトナカイ牧畜文化がニヴフ文化に与えた影響が少なからずあるように思われる。高橋盛孝(1942)にはニヴフ語としてmorocun「トナカイ皮製容器」という語を採録しているが、高橋がすでに指摘しているように、これはウイルタ語mɵrɵččɵɵ「円筒形の食器入れ(樺皮のまげものの外側をとなかいのなめし皮でおおってある(中略)移動の際もこれをとなかいにつけて運ぶ)。」からの借用であろう。

 

(47)道具入れ

ニヴフ語のhulmukは高橋盛孝(1942)には「ふたのない道具入れ」とある。ニヴフ文化の実物は確認できなかったがノグリキでは「トナカイ皮製容器」との証言が得られた。池上二良(1997)にあるウイルタ語xulməu(対格形xulməkkɵɵ)は同起源と思われる。高橋はウイルタ語からの借用とみなしている。ウイルタ語では対格形にのみニヴフ語形の語末子音が残ることからみると、ニヴフ語からウイルタ語に借用されたようにも思える。しかし、池上二良(1997)ではウイルタのものは「上は長円形、下は長方形の小さい入れもの、内側は樺皮をまげてつくり、外側をとなかいやあざらしの皮でおおってできている(中略)移動の際となかいに結びつける」とある。元来はmɵrɵččɵɵ同様にウイルタのトナカイ牧畜文化の産物らしい。とすると、高橋のいうようにニヴフ語がウイルタ語から借用したとみるべきかもしれない。

 

(46)トナカイ皮製容器

ニヴフ語kʰauliは樹皮などで覆った一時的な小屋のことを指す。儀式などの際に作られる一時的な施設である。これはひょっとすると犬橇の制御棒kʰauliと関係があるかもしれない。ただ、ウイルタ語でやはり樹皮で作る夏用の住居をkauraという。ニヴフ文化においては、通常は夏用住居としては木材を使った恒久的なものを建設していた。kʰauliはあくまで仮の小屋であいり、aundoq、joɣorafとも呼ばれた。aundoqはおそらくウイルタ語aundau(対格形aundakkoo)「冬小屋」と関連があろう。夏小屋にせよ、冬小屋にせよ、ウイルタ文化の家屋はニヴフ人の目にjoɣorafすなわち「一時的な小屋」と映ったと思われる。

 

(60)樹皮製小屋

これらは、ウイルタ文化からニヴフ文化に取り入れられた可能性が高い。とすれば、トナカイ牧畜にともなって発達した移動に適した部分が、むしろ定住的なニヴフ文化に補完的に取り入れられたのではなかろうか。ただ、hulmuk、aundoqなどは、現在のウイルタ語では主格形では語末子音が消失している。池上二良は諸論文でサハリン地域にはウイルタ語によく似た別のトゥングース系言語から借用された語があるのではないかと推測している。この単語もそのようなものかもしれない。

 

4.結語にかえて

 

以上、不十分ではあるが、今回作成したニヴフ語民具リストから、アイヌ語、ウイルタ語との共通語彙・類似語彙について検討を試みた。これらの共通語彙の多くはさらに北方に大きく広がる共通語彙と思われる。アイヌ語との共通性に関しても借用関係は簡単ではないことが判明した。アイヌ語サハリン方言の語彙のうち、北海道方言にみられない語彙には、北方からの借用が疑われてきた。しかしそれらのいくつかは必ずしもニヴフ語を経由していない可能性がある。トゥングース諸言語との詳細な比較、ニヴフ語アムール方言語彙の調査のさらなる進展に期待したい。

 

付表

ニヴフ語民具名称とアイヌ語、ウイルタ語、満洲語の類似語彙一覧

 

ニヴフ語、アイヌ語、ウイルタ語のすべてで共通する語彙(17語)

番号

名称

説明

ニヴフ語

アイヌ語

ウイルタ語

満洲語

1

犬橇

 

nuci, nuxc, tʰu

nusotus, cf. nuso「橇にイヌをつけたもの」,

nusku「橇をひくつな」, puktu「犬の列と橇の全体」

 

2

まさかり(大型)

 

pancu

panco

panču

 

3

木幣

イナウ

nau

inaw

illau

 

4

煮凝り料理

一番の御馳走(高橋)

mos

mus

musi

musi「米穀を粉に挽いて鍋で煮、水に入れて食するもの」

5

 

cʰai

cay

čai

cai

6

 

cʰafq

sahka

sabuu, cf. čakpa(フォーク、やす)

sabka

7

 

araq

arakke

arakki

arki

8

滑子

橇の滑子にする鯨の肋骨

motas

mohrasi

muttasi

 

9

制御棒

橇の制動桿

kʰauli

kawre, nusokuwa

kaurii

 

10

手袋

 

vamq

wampakka, matumere

wampakka, mambakka

 

11

キセルの胴

 

tmam

△cf.tumam

tuma

 

12

魚干し台全体

 

cʰaŋi

cf.san

saan

 

13

アザラシ用銛3

 

ketŋ

kite

dargi, gida

gida「槍」

14

犬の装具

 

hal

setahana

xala

 

15

よりもどし

イヌの装具(halの次にあるよりもどし)

maχt

mahru

makčii

 

16

木綿

もめん(木綿)

pos, maʁrʰ pos

pous

busu

boso「布」

17

樽、バケツ

おけ(桶)、バケツ、ておけ(手桶)(高橋)

sintuχ

sintoko

siltukku「たらい」, sittoo(sittokkoo)「樽」

 

 

ニヴフ語とアイヌ語の共通語彙(25語)

番号

名称

説明

ニヴフ語

アイヌ語

ウイルタ語

満洲語

18

サンパン船

サンパン

kunkas

konkasi, kunkas

 

 

19

外套

衣服

oq

ohko

 

 

20

帽子

 

haq

hahka

 

 

21

 

mut

muhru

■čirɵptu

cirku

22

ゆりかご2

揺籠(木彫)

caq

cahka

■əmuə

ceku「ぶらんこ」

23

矢、弾丸

 

kʰu

△ku(cf.)

■ləkkə

 

24

仕掛弓

アイヌにもあるしかけ弓(高橋)

jur

yuuru

■dəəŋgurə

 

25

トド

動物名称

tuŋ

tonto(cf.)

 

 

26

太鼓

 

qʰas

kaco

daali

 

27

アザラシ用銛1

 

kla, tla

tuna

■dargi

 

28

タバコ

 

tamχ

tampaku

■saŋna

dambaku

29

一弦琴

胡琴

təŋrəŋ

tonkori

təkkərə(ニヴフのもの)

tenggeri「三味線」

30

 

vaqi

△ウオカイ(小型シントコ)西鶴51

 

 

31

罠の一種

「ハー」貂用の罠(圧式)

ha

△ka

 

 

32

白樺樹皮製皿

食器の洗浄に用いる容器(高橋)

haŋrʰ

hankata

 

 

33

テント

テント

qai

kaya

 

 

34

犬橇全体

イヌ橇全体(イヌ含む)

nuci, nuxci

△nusotus(牽き綱), nuso(橇)

 puktu「犬の列と橇の全体」

 

35

幼児のおくるみ

赤ちゃんを包むもの

muks

muksit

 

 

36

屋外の食料台2

食料を乗せておく開放式屋外倉庫

uvŋ

upun, upuy

■pəulə

 

37

 

qaj

kaya

 

 

38

梯子

かいだん(階段)

ɲŋarʰ

nikari

muktakku

 

39

かね

kolŋgolŋ

konko

 

honggon「巫人の用いる鈴」

40

ひげ根

木の根(ひげ根)

mirʰləx

meciroh

 

 

41

砥石1

 

rʰubaχ

ruy

■piiwə, xuraktami

ləkə

42

長衣

綿入

huχt

 

xɵktɵ

 

 

ニヴフ語とウイルタ語の共通語彙(41語)

番号

名称

説明

ニヴフ語

アイヌ語

ウイルタ語

満洲語

43

金属口琴

鉄製ビヤボン(高橋)

vat koŋgoŋ

 

●muxənə, kuŋgaa

huuru

44

綿(わた)

 

joχan

(●wata)

juxa

yohan, kubun

45

蚊帳

 

campaŋ

dappa

jampan

46

トナカイ皮製容器

トナカイ皮製の茶碗入容器(高橋)

murcun

 

mɵrɵččɵɵ

 

47

道具入れ

道具入(ふたのない箱)(高橋)

hulmuk

 

xulməu/xulməkkɵɵ

 

48

ナイフ

小刀

caqo

●makiri

kučigə

jokuu「株を切る包刀、押し切り」

49

ゆりかご

揺籠(白樺皮で作った簡単なもの)

turʰ

 

duri

duri

50

 

χausəl

kampi

xausali

hoošan

51

宝物

 

rʰaɣnt

sakunto「銅」

ǰakka

jaka「物品、品物、物」

52

背負子

しょいこ、うま(背中に荷をかつぐときに用いる台木)

rəmŋ

(●niesike)

urəmə

fiyana

53

 

kalmərʰ

ita(H), nisos(K)

kalumuri

 

54

 

pʰuvŋ

icaacah(K), noko(H)

puupu

 

55

山丹語kuvo)(高橋)

kuvŋ

●nuyto

kupə, tokpo

 

56

鉄砲

 

meocaŋ

●tehpo

miočča

miyoocan

57

罠の部品(馬の毛)

馬尾の輪(丸木橋罠の部分名称)

poci

 

△puta

futa「縄、綱」

58

腰帯

一種の腰鈴ヤンパン(高橋)

jaŋpaŋ

●kaanikuh

jaakpa

 

59

丸太の隙間に挟むコケ

丸太の間のすきまにはこけの一種

vaχ

 

waxi

 

60

樹皮製小屋

木皮小屋(ウイルタ語)(高橋)

kaura

 

kaura

 

61

木製大型容器

木製の器

 

oxuma

 

62

小麦粉、パン

 

ofa, ofan

●koo「粉」

upa

ufa

63

 

tafciŋ

sihpo, sippo

dausu

dabsun

64

砂糖

 

seta

●toopenpe

satu

šatan

65

 

oχt

●kusuri

okto

okto

66

 

aisan, aizan

 

aisi

aisin

67

チェス

将棋

damka

 

daamukka

 

68

まさかり(ロシア式)

 

toppo

 

toporo(老人が使う語)

 

69

 

tota, toto

●sirokaani

tuda「鉛」

 

70

貨幣

金、おかね

χa

 

ǰaxa

jiha

71

大砲

 

pau

●porotehpo

pau

poo

72

長脚絆

長脚半

paɲ

●hos

pəruu

 

73

タバコつめ棒

 

keraq

 

gidakku

 

74

キセルの吸口

 

momok,  momof

 

moomoo(パイプ)

 

75

船首

船首

məx

 

məəxə

 

76

銛の方向制御版

アザラシ銛の浮き(方向転換用)

laχ

●ohkuh

laaxu

 

77

真鍮

黄色い金属

tuvs

 

čiiriktə(真鍮)、təusi「白い金属(ニッケルか)」

teišun

78

はさみ

hasaŋ

cf. hasami(日本語)

xaǰa

 

79

小屋

仮小屋(aundoqと同じもの)

kʰauli, kʰauli daf

 

kauri

 

80

大匙大型

大さじ

qomp

 

kombo(ひしゃく)

 

81

まど(窓)

pʰaχ

 

paawa

fa

82

ガラス

ガラス

pʰaχ

 

paawa

boli, bolosu

83

船着場

舟着き場

muspi

 

muspə

 

 

参考1 ニヴフ語と満洲語の共通語彙(5語)

番号

名称

説明

ニヴフ語

アイヌ語

ウイルタ語

満洲語

84

鉄ストーブ

鉄製の薪ストーブ

cink

 

 

jun「かまど」

85

指輪

指輪

kuivaŋ, kuivŋ

 

 

guifun

86

松明

松明、たいまつ

ton

 

 

tolon

87

高上がり(全体)

高上がり

naɣŋ

 

 

nahan「火床、温突」(オンドル)

88

本、手紙、文字

じ(字)、もじ(文字)

pitɣŋ

 

 

bithe「書物、本、文書」

 

参考2 アイヌ語とウイルタ語の共通語彙(4語)

番号

名称

説明

ニヴフ語

アイヌ語

ウイルタ語

満洲語

89

口琴

鉄製ビヤボン(高橋)

vat koŋgoŋ

●muhkun, muhkuna, mukkur

●muxənə, kuŋgaa

huuru

90

魚干し竿

鮭乾す竿

muzrʰ

●sakir

■sairi

 

91

アザラシ用銛先

あざらしをとる槍

ozmorʰ

●kite

■ǰogbo, ●gida(槍先)

gida「槍」

92

漁獲用具(ヤナ)

(水中に仕掛ける)三隅のある板?足場?。Tаксамиほか(1965)によると、イトウを捕るための「堰止め」。

mraŋ

●uray

●urai

 

 

ウイルタ語は池上二良(1997)によった。満洲語は羽田亨(1937)によった。ニヴフ語形と異なる系統と思われる語については、アイヌ語は語頭に●、ウイルタ語は語頭に■を付した。ただし、ニヴフ語と異なり、アイヌ語と一致するウイルタ語には■ではなく●を付してある。また、類似しているが借用語といえるかどうか怪しい語彙には△を付してある。高橋盛孝(1942)からの資料は「説明」欄に引用を掲載し「(高橋)」と付した。

 

 

 

参考文献

 

H.C.Hony(1967) H.C.Hony, Turkish-English Dictionary, Oxford at the Clarendon Press R.Austerlitz(1993)「動物分類語彙とその分析(昆虫類)」文部省科学研究費補助金研究成果報告書『サハリンの少数民族』所収

池上二良(1997) 『ウイルタ語辞典』 北海道大学図書刊行会

池上二良(1973) 「アイヌ語系統論」『北方言語叢考』所収 北海道大学図書刊行会 2004年

池上二良(1980) 「アイヌ語のイナウの語の由来に関する小考」『北方言語叢考』所収 北海道大学図書刊行会 2004年

池上二良(1994) 「アイヌ語の大陸的要素」『北方言語叢考』所収 北海道大学図書刊行会 2004年

池上二良(1988) 「ことばの上からみた東北アジアと日本」『北方言語叢考』所収 北海道大学図書刊行会 2004年

池上二良(1990) 「日本語・北の言語間の単語借用」『北方言語叢考』所収 北海道大学図書刊行会 2004年

萱野 茂(1978) 『アイヌの民具』 運動協力者版

葛西猛千代(1933) 『樺太アイヌの民俗』みやま書房 復刻版1975年

E.A.クレイノヴィチ(1973)(E.A.クレイノヴィッチ原著・服部健翻案校註・荻原眞子訳・丹菊逸治編)「ニヴフ語彙集」金子亨編『北方ユーラシアの先住諸民族の言語文化の資料データベース作成とその類型論的研究』(文部省科学研究補助金・研究成果報告書)

E.A.クレイノヴィチ(2004) 中田篤・梅村博昭訳「ニブフのイヌ飼養と宗教観におけるその反映(1)」『北方民族博物館紀研究紀要 第13号』所収 北方民族博物館

児島恭子「近世日本の文献にみえる山丹語について」金子亨編『北方ユーラシアの先住諸民族の言語文化の資料データベース作成とその類型論的研究』(文部省科学研究補助金・研究成果報告書)

小松格(1980) 『ウズベク語辞典』 泰流社

高橋盛孝(1942) 『樺太ギリヤク語』 大阪朝日新聞社

直川礼緒(2005) 『口琴のひびく世界』 日本口琴協会

知里眞志保(1976) 「分類アイヌ語辞典 動物編」『知里眞志保著作集 別巻I』所収 平凡社

知里真志保(1953)「分類アイヌ語辞典 植物編」知里真志保著作集』 別巻』所収 平凡社

知里真志保・山本祐弘(1970)『樺太アイヌ・住居と民具』 相模書房版

東郷正延ほか(1988) 『研究社露和辞典』 研究社

西鶴定嘉(1932) 『樺太アイヌ』 みやま書房 復刻版1974年

J.バチラー(1938) 『アイヌ・英・和辭典 第4版』岩波書店

服部四郎(1964) 『アイヌ語方言辞典』 岩波書店

服部健(1952) 「樺太ギリヤークの漁労語彙」『服部健著作集』所収 北海道出版企画センター 2000年

服部健(1934) 「ギリヤーク」『服部健著作集』所収 北海道出版企画センター 2000年

羽田亨(1972) 『満和辞典』 国書刊行会

古島百合子(1993) 『ペルシア語辞典』 東京

真鍋浩史(1994) 『ウイルタの社会における漁労文化と語彙借用についての考察』千葉大学卒業論文 未刊

山本祐弘(1943) 『樺太原始民族の生活』 アルス文化叢書

И.А.Андреевпа Н.П.Петров(1971) Русско-Чувашский Словарь, Mосква

Головкина(1996) Татарско-Русский Словарь, Mосква

Д.Карамшоев(1991) Шугнанско-Русский Словарь Том2, Mосква

Г.Р.Каримова(1958) Башкирско-Русский Словарь, Mосква

Е.А.Крейнович(1973) Нивхгу, Южно-Сахалинск, 2001

Э.К.Пекарский(1917) Словарь Якутского Языка ТомII, Петроградъ 

В.N.Савельева и Ч.M.Таксами(1965) Русско-Нивхский Словарь, Москв

Tаксами(1975)

Ч.М.Tаксами, Основные Проблемы Етнографии и Истории Нивхов, Издательство Наука, Ленинград

В.И.Цинциус(1997) Сравнительный Словарь Тунгусо-Mаньчжурских Языков Том II, Ленинград

Ц.Б.Цыдендамбаев и M.н.Имехенов(1962) Русско-Бурятский Словарь, Mосква

П.Я.Черных(1993) Историко-Этимологический Словарь Современного Русского Языка ТомII, Mосква

К.К.Юдахин(1965) Киргиско-Русский Словарь, Mосква

なお、本文中クルド諸語とあるのはFerhengî Namo氏の開設する以下のサイトによる。何語か詳細は不明。http://www.namonet.com。ここのオンライン辞書 Namo Dictionary English - Kurdish, Kurdish - English dictionary.による。