「ギリヤーク」という名称について

2009.6.22

 「ギリヤーク」は「ニヴフ」と同じ民族です。簡単にいえば「ギリヤーク」は他称、「ニヴフ」は自称です。現在では「ニヴフ」を用いるのが普通です。

 行政上の公式の呼称は「ニヴフ」だったのですが、1990年頃まで一般には「ギリヤーク」と呼ばれていました。しかしこの呼称は本人たちではなく、近隣のおそらくトゥングース系諸民族が彼らをそう呼んだ「他称」でした。あとから極東地域にやってきたロシア人はそれを借用したのです。そして「ギリヤーク」という呼称は欧米の多くの言語で用いられるようになりました。

 ニヴフ人自身は自分たちのことを、ただ「人間」と呼んでいました。彼らの言葉では「ニヴフ」(アムール方言)とか、「ニグヴン」(サハリン方言)などといいます。江戸時代に彼らと接触した日本人は「ニクブン」という呼称で記録しています。また、ロシア帝国・ソビエト連邦でも、言語学者の論文などでは「ニヴフ」という呼称が用いられています。

 一般のロシア人は、ニヴフ民族と、その隣に住むウリチ民族を区別せず、まとめて「ギリヤーク」と呼んでいました。この二つの民族は文化的には似ている部分も多いのですが、言語は全く異なります。ロシア人は「未開の連中」というニュアンスをこめて「ギリヤーク」という呼び名を使っていたようです。やがて時代が下るにつれて、「ギリヤーク」という呼称は蔑称と感じられるようになっていきました。同時にニヴフ語の語彙が整備され、「ギリヤーク」はロシア語の単語、「ニヴフ」はニヴフ語の単語として明確に区別されるようになります。

 そして、1980年代の終わり頃から改革(ペレストロイカ)が始まると、ニヴフ人の間では「ギリヤークと呼ばないで欲しい」という声が高まりました。そして1990年代になると、少なくともロシア国内において、公の場では「ギリヤーク」という呼び名は姿を消し、名実ともに「ニヴフ」が用いられるようになります。

 しかし、「ギリヤーク」という呼称はすでに広く欧米で用いられるようになっていました。日本でも当初は「ニクブン」というきわめて正確な呼称を用いていたのに、「ギリヤーク」に切り替えてしまっていたのです。残念なことでした。現在ではロシアでの動きを受け、欧米でも日本でも徐々に「ニヴフ」という呼称に置き換えが進んでいる段階です。

 当サイトでも「本人たちが嫌がる呼称を用いる必要はない」と考え、特別な理由がない限り「ニヴフ」という呼称を用いています。

 

追記

2009.6.24

 では、「ギリヤーク」と書かれた過去の印刷物は破棄し絶版にすべきなのか。そうは思いません。また、文脈によっては「ギリヤーク」という言葉が用いられることもあるでしょう。例えば貴重な岩波文庫版『サハリン島』が絶版になる必要はないはずです。ですが、今後、新たに書かれるものについては、原則として「ニヴフ」(あるいはニブフ、ニブヒ、ニヴヒなど)を用いるべきであり、「ギリヤーク」を用いる場合は何らかの断り書きが必要だと考えています。例えば村上春樹『1Q84』ではひとこと「『ギリヤーク』は現在では「ニヴフ」と呼ばれているが、引用に当たっては原典のままとした」と書かれたほうが良心的であった、と考えます。

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