超高速Q&A


Q01: ギリヤーク人って今でもいるの? 戻る

A: もちろんいます。ロシア連邦サハリン州とハバロフスク州にまたがって5400人ほど暮らしています。昔にくらべて人口は特に減っていません。なお、今では「ニヴフ」(あるいはニヴヒ、ニブフ、ニブヒ)と呼称するのが普通です。

 なお、第二次世界大戦終了時に、それまで「日本領南樺太」だった地域から日本に移住した「日本国籍を有するニヴフ人」も何十人かいました。その子孫はいまでも日本に住んでいるでしょう。

 


Q02: ギリヤーク人って道路を歩かなかったの? 戻る

A: きっと自分たちの「ニヴフ人の道」を歩いていたのでしょう。そっちのほうが便利ですから。ニヴフ人の道とロシア人の道はたいてい別でした。チェーホフが見たのは、たまたま2つの道が接近している地点だったのでしょう。

 


Q03: ギリヤーク人って顔を洗わなかったの? 戻る

A: チェーホフの当時はロシア人だって顔を洗いませんでしたよ。もちろん汚れたらニヴフ人も顔を洗ったはずです。今はもちろん洗っています。北方民族が下着を洗わない、というのも無茶な話です。当たり前ですが、汚れたら洗っていたようです。

 


Q04: ギリヤーク人って女性を売買していたの? 戻る

A: 一部の地域では婚資(結納品)を納める必要がありました。チェーホフが書いているのはそのことですね。

 


Q05: ギリヤーク人って「結婚はくだらないことだ」と考えていたの? 戻る

A: そんなことはありません。ニヴフ人の間では結婚についてはいろいろと厳しい決まりがありました。ただ、離婚は可能だし、「結婚式」というものはありませんでした。

 


Q06: ギリヤーク人は女性をモノか家畜のように扱っていたの? 戻る

A: そんなことはありません。「男は外、女は内」の伝統文化なので、女性が対外的に「男の顔を立てる」だけです。チェーホフの前では女性はおとなしくしており、男性は威張っていたはずです。まあ、ニヴフ人の考える「あるべき夫婦の姿」は夫唱婦随ということになっていますが。

 


Q07: ギリヤーク人の家って不衛生だったの? 戻る

A: チェーホフが書いているのは「冬の家」のことです(彼も「夏の家」はロシア人の家より快適である、と書いています)。彼が訪れた春先には食糧不足・ビタミン不足に悩まされていたのでしょう。なお、ウジや腐った魚云々は衛生状態とはあまり関係ありません。

 


Q08: ギリヤーク人って女性を殴ってもよかったの?誰もとめなかったの? 戻る

A: きっとDVの家庭だったのでしょう。当時のニヴフ人社会では、お嫁さんは実家が守ることになっていましたから、だんなさんの周囲(婚家)の人々は手出ししません。ですが、場合によっては実家が婚家に報復することもありました。

 


Q09: ギリヤーク人ってアイヌ人に北海道から追い出されたの? 戻る

A: チェーホフが書いているのは「サハリン南部から北部に追い出された」という学説です。北海道のことではありません。しかも正しいかどうか分かりません。最近の考古学者は北海道オホーツク海岸に13世紀ごろまであった「オホーツク文化」の担い手はニヴフ語を話していたという説を唱えています。彼らがその後「追い出された」のか「今でも北海道にいる」のかは分かりません。

 


Q10: アイヌ人は日本人に圧迫されてサハリンを侵略したの? 戻る

A: 「日本人に圧迫された」のではなくて、むしろ「日本人との交易で力をつけた」ので北へ勢力を広げたと考えられています。

 


Q11: ギリヤーク人ってアイヌ人女性を奴隷にしていたの? 戻る

A: 19世紀のサハリンでは「サンタン人」という武装商人(ウリチ民族が主体だったと考えられています)がアイヌ人を債務奴隷として連れ去ることがあったようです。ニヴフ人はその人たちを「買っていた」のでしょう。自分で連れてくることもあったかもしれません。どちらにしてもひどい話ですが。

 なお、アイヌ人の借金の原因は日本人でした。当時サハリンに勢力を伸ばした日本人はアイヌ人から蝦夷錦を奪い、さらに「もっと寄こせ」と要求していました。アイヌ人は仕方なく借金をして蝦夷錦を買い、日本人に渡していたのです。

 


Q12: じゃあチェーホフは嘘つきだっていいたいの? 戻る

A: いいえ、「嘘」ではなく「文学的誇張」です。

 


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